ハムステッド座、プロペラ『ヘンリー五世』〜男男していて悪くはない、が、もっとボディタッチが必要だ

 ハムステッド座でたぶんイギリスで一番有名なオールメールシェイクスピアの劇団、プロペラによる『ヘンリー五世』を見てきた。演出はエドワード・ホール

 前に日本で同じプロペラの『ヴェニスの商人』と『夏の夜の夢』を見たときは女形を使う意味があまりよくわからなくて(歌舞伎を見慣れている日本の客が想像するような女形ではないし、たぶんイギリス・ルネサンスの時代の女形ともかなり違う)、結構ピンとこなかったのだが、この『ヘンリー五世』は結構楽しめた。と、いうのも、女が全然出てこないからである。一応、設定は軍人が男だけで芝居をやる…みたいな感じで、話があまりなくてほとんど台詞とキャラだけで持たせる戦争モノである『ヘンリー五世』にはこういう男男した雰囲気がよくあっている。でっかい女役というとクイックリー夫人とキャサリン王女くらいで、あとはフランス王妃とかキャサリンの侍女アリス、それに酒場でエキストラ的に女性従業員を出すとかその程度ですむので、軍人だけで余興に上演する、とかいう設定だとやりやすそうだ。

 役者の演技はおおむねよい。台詞回しがみんなとてもしっかりしていてノンネイティヴにも聞き取りやすいし、アクションも生き生きしている。ヘンリー五世役のドゥガルド・ブルース=ロックハートは狡猾な政治家ふうで悪くはない…のだが、ただこの間グローブ座で見たジェイミー・パーカーのヘンリー五世には負けると思う。ヘンリー五世というのは育ちのいい若い男子特有の奢りが魅力でもあり欠点でもあるキャラクターだと思うのだが(敵であるフランス王より格段に若いということが強調されているし)、そのへんは若いジェイミー・パーカーのほうがよく出てた。


 全体的に現代の迷彩服を着て銃剣をかかえた汚い格好の兵士たちが右往左往するモダンな演出で、とくにテニスボールの場面では客席までテニスボールがとんでくるほどたくさんのボールをぶちまけたり、謀反人を処刑する時はひとりずつ肩章をベリっとはがして「不名誉除隊」にしてから殺すとか、エグいティテールで飽きさせない感じだったのだが、後半ちょっとたるんだと思う…とくに疑問なのは、役者が激しく動き回るわりにはとことん身体的接触を避ける演出をしていること。クィックリーとピストルがきちんとキスしないとか、謀反人の処刑場面では銃殺のはずなのに薪割り用の斧を薪にむかって振り下ろした瞬間に後方に座っていた謀反人三人が絶命するとか、前半から「あれずいぶん間接的な表現だな」と思うところもあったのだが、後半はとくにそう。戦闘シーンとか、舞台の両側にサンドバッグを設置して、これを殴ると真ん中にいる人が苦しむ…とかで直接殴るフリをせずに「演劇的に」暴力を表現している。これ、最初の一回とか二回くらいなら結構効果あるのだが、小姓の殺害までこれでやっていたのはなんじゃこりゃと思ってしまったな…この間のグローブ座はオーソドックスな演出だったのだが、小姓の殺害とかいきなり若者(グローブでは男役の女性)がのどを掻ききられて血のりがとんでお客さんが息をのむとかプロペラの五倍くらいはグロかったと思う(それでたぶんルネサンスの頃もそういうグロい演出だったのではという気がしている)。非戦闘員の突発的虐殺とかいうこの芝居きっての残虐場面をそういうふうにぼかしていいのかね?軍人同士のぶつかりあいはくどいから演芸特有の比喩的な間接表現にしてもいいと思うのだが、重要な残虐描写はここぞとばかりに直接的にしてメリハリをつけたほうがいいのでは…と思った。さらにさらに最後のヘンリー五世とキャサリン王女の求愛場面ではヘンリーとキャサリンが全然ちゃんとキスしないで、唇に指をあててその指を2人があわせるという間接描写に…なんじゃそりゃ!男同士でやってるからそうなるとしたらちょっともうお行儀良すぎてケッて感じだし(歌舞伎かソーホーのドラァグショーを百回見て出直して来い)、役者同士のボディタッチを避けて間接描写だけでやる!というコンセプトなら「いやいやなんでこんなに激しく役者の肉体が動き回る演出でそんなことやるの、それ全然うまくいってないから」としか言いようがないと思う。

 と、いうわけで、良いところもあったのだがあのボディタッチ回避演出はええーっていう感じだし、これを男だけでやる意味があるのか、と思ってしまった。ただこの公演は来週の『冬物語』とセットになっているので、あのボディタッチ回避がいつものことなのか(そうだとしたらちょっとオールメールのくせにホモフォビックじゃない?)、それとも戦争モノで直接描写を避けた象徴的表現を試みて失敗しただけなのかは『冬物語』を見てから判断しようと思う。