ジョン・スノウ…じゃなかったハル、あんな何にも知らないね~ナショナル・シアター・ライブ『ヘンリー五世』

 ナショナル・シアター・ライブの『ヘンリー五世』を見てきた。マックス・ウェブスター演出、キット・ハリントン主演でドンマーウェアハウスで収録されたものである。

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 非常に現代的な演出で、軍人たちは迷彩の軍服を着ているし、戦争も完全に現代の戦争だ。ヘンリー(キット・ハリントン)以外はとっかえひっかえ1人の役者がいろんな役をやっており、ジェンダーが変更されているキャラクターもある。美術はかなり凝っており、イングランドの国旗を思わせる舞台デザインとか、モダンでシンプルだがいろいろキメのところでは工夫がある。冒頭に『ヘンリー四世』の一部を織り込んでおり、まだハル王子だったヘンリー五世(キット・ハリントン)は現代のクラブで遊んでいる。また、英語以外の言語がたくさん使われており、フランス軍はふだんはフランス語で話しているし(RSC『シンベリン』も似た試みをしていたがこの『へンリー五世』のほうが自然である)、ウェールズ語や中国語も登場する。また、フルーエルンは現代風なウェールズ人名でルウェリンと呼ばれている。

 全体的にあまりヘンリーが英雄的ではない…というか、キット・ハリントンが『ゲーム・オブ・スローンズ』で演じたジョン・スノウよろしく、この作品のヘンリーはけっこう何も知らない。若い遊び人からそのまんま王になり、最初は自信も経験もないし、正直あんまり能力もなさそうなのだが(私が今まで見たヘンリー五世の中では一番、能力が疑問だ)、戦場では精一杯頑張っていてなんか感じもいいので部下が一生懸命支えてくれて勝てました…みたいな感じである。全体的に二代目社長みたいな雰囲気があり、お父さんの後を継ごうとしていてやる気はあるのだが、とくに序盤は非常に頼りない。父の訃報を知るところではあからさまに不安でたまらなそうな顔をしているし、自分にフランス王位を継ぐ資格があるのかどうかを説明してもらう会議ではたぶん全然理屈を理解していないと思われる(この場面はそもそもあんまり面白くないので、ここを現代のつまらない企業ミーティングみたいに演出したのは正解だ)。

 ところがこの何にも知らないヘンリー、けっこう成功してしまったせいで、最後のほうでは暴走して残酷なことを始めたり、逆に大物みたいに振る舞ったり、いろいろな問題行動を始める。このプロダクションはヘンリーの悪名高い捕虜殺害の場面をかなり強調しており、みんなが捕虜殺害の命令にビビっているところや、捕虜が殺されるところまできちんとやっている。これはあまり経験のないヘンリーの暴走…というか短慮ぶりを強調する演出だ。ところが、戦場では自分の未経験に自信を失いつつ努力していたヘンリーが、最後のキャサリン(アヌーシュカ・ルーカス)に求婚するところでは調子こいた二代目社長みたいな感じで強引にキャサリンにキスしており、かなり感じが悪い。自信がなくて手探りで頑張っていた若者が、だんだん成功のせいで調子にのってまずい感じになっていく様子を見ている芝居という感じで、その点では非常にリアルである。

 あと、ルウェリン(スティーヴン・メオ)周りの演出はわりと他のプロダクションと違うと思った。ルウェリン/フルーエルンをはじめとする英国軍の軍人たちはけっこう深刻な状況でみんな戦況を不安に思っており、全員、非常に苦労している感じだ。ルウェリン/フルーエルンはウェールズの田舎の出身で古風な軍人なので、古式にこだわる大仰さがコミカルに演出されることもあるのだが、このプロダクションでは戦場があまりにもキツそうでそんなにコミカルなところがない。他の軍人たちも戦況が悪くてピリピリしており、出身地域や教育によるバックグランドの文化的差異もなかなか深くて乗り越えにくいところがあるのだが、その中で大将のヘンリーを盛り立て、勝てるようにしようとひとりひとり努力している。そういうふうに部下が頑張っているぶん、ヘンリーが暴走して捕虜殺害を命じるところはショッキングだ。さらにルウェリン/フルーエルンが手袋のことでヘンリーにかつがれる場面がカットされており、全体的にルウェリン/フルールン周りの軍人たちの演出はかなり真面目でピリピリして笑いが少ない印象だ。あまりヘンリーのカリスマ性が強調されず、いろいろな部下たちとのやりとりで成り立つ群像劇に近いものになっているのは良いと思う。