どうしても一箇所、解釈違いがあり…日生劇場『夏の夜の夢』

 井上尊晶演出『夏の夜の夢』を日生劇場で見てきた。

 全体的に階段が多く、そこを森に見立てている。宮殿の場面は真ん中に台を置いてやっている(このため、宮中の場面はちょっと舞台が狭いような印象も受ける)。衣装はけっこう現代風なところもあるが、一部和風で、とくに職人劇団の劇中劇は着物を着た恋人同士が出てくるまったくの和物である。

 恋人たちや職人たちは笑いのツボを押さえており、そのあたりはロマンティックコメディとして楽しめる。若い恋人たちはアイドルをけっこう起用しているのだが、4人ともけっこう喜劇のセンスがある感じがした。職人劇団の劇中劇は、最初はひどいが最後のほうは頑張って持ち直しました感があって良かった(最近、そういう演出もわりと多いと思う)。

 ただ、一点だけどうしても私の解釈では受け入れにくいところがあり、そこが気になった。これまでヘンなシェイクスピア演出を見てきたのでたいていの解釈は受け入れられる気がしていたのだが、パックが子役というのだけはどうしても解釈違いで受け付けられないと思った。なにしろオーベロン(中村芝翫)が恋の魔法をかける手先にパックを使うわけであって、パックが子役だと子どもに媚薬を使わせるとか、なんか児童虐待みたいではないか…と思う。妖精を子どもとか少女みたいな無垢なものとして考えるのはロマン主義以降の現代的な感覚であって、パックはけっこう狡猾な大人なんだと考えたほうがいいと思う。さらに良くないと思ったのは全体にパックを使った枠があることである。一応、途中で現代的な音響が使われていたりして、この芝居じたいが夢芝居(たぶん)、おそらくは歩けない少年(劇中のパック)の夢かなんかなのではないかと思わせる演出になっていた。歩けない子どもが軽やかな妖精として動き回る夢を見ているというの、ちょっとエイブリズム的で少なくとも私は個人的にはっきりイヤだと思った。