恋するときめきオーベロン~ブリッジ劇場『夏の夜の夢』

 ブリッジ劇場でニコラス・ハイトナー演出『夏の夜の夢』を見てきた。ブリッジ劇場で生で芝居を見るのは初めてである。NTライヴでやった『ジュリアス・シーザー』同様いわゆる没入型(immersive)なプロダクションで、平土間で観客を巻き込みつつ、舞台を動かしながら上演する。私はちょっと警戒して平土間は避けた。

bridgetheatre.co.uk

 舞台美術は現代風で、冒頭のアテネは独裁者シーシアスが支配する暗く専制的な国家である。女性陣は非常に地味な服装を強制されているようで、いろいろな批評で言われているがちょっと『侍女の物語』っぽい。とらわれのヒポリタはガラスの檻に入った状態で登場する。一方で妖精の森はエアリアルシルクなどを多用しており、非常に自由で躍動的な雰囲気だ。アテネでも森でもベッドが舞台装置として重要な役割を果たしており、いろいろなところで使われていて、これが全体を夢のように見せる効果をあげている。

 

 この上演のポイントは、ティターニア(グウェンドリン・クリスティ)とオーベロン(オリヴァー・クリス)の役柄が交替しているところである。ティターニア/ヒポリタとオーベロン/シーシアスを同じ役者が演じるというのはよくあるが、この上演ではティターニアがオーベロンのお小姓を狙っていて、パック(デヴィッド・モアスト)を使ってオーベロンに恋の魔法をかける。つまり、オーベロンがボトム(ハメド・アニマション)に恋をするのである。いつもは恋に溺れて形無しのティターニアが非常に堂々としたちょっと腹黒い策士に、偉そうなオーベロンが恋に夢中の可愛らしい純情男になってしまう。4人の恋人たちも悪く無いし十分面白いのだが、どっちかというとこの妖精とボトムチームのほうが息がぴったりあっていて演技も達者で、とことん笑わせてくれる。

 

 クリスティが捕虜として結婚を強制され、打ちひしがれているヒポリタから威厳に満ちた妖精女王ティターニアに舞台上で変わるところは、表情の移り変わりなどがとても上手で非常に感心した。一方でオリヴァー・クリス(『ヤング・マルクス』のエンゲルスが記憶に新しいが、たぶん私はクリスがボトムを演じるのを見たことがある)はとにかくコミカルで、さらに色男キャラでもある。アニマション演じるボトムがけっこう歌がうまくて人好きのするキャラクターになっていることもあり、オーベロンとボトムの恋模様はかなりセクシーで、しかも真剣に好き合っているように見える。途中でこの2人が泡風呂でいちゃつきながら出てくる場面があるのだが、わりとボトムもオーベロンにのぼせているようで、恋する2人の高揚感がおかしいやらカワイイやら、微笑ましくかつ気持ちのいい爆笑も誘う。

 

 終盤になってからティターニア/ヒポリタとオーベロン/シーシアスをダブらせる配役が非常に重要になる。どうやらティターニアはヒポリタの願望、オーベロンはシーシアスの性的なファンタジーを具現化したものであり、夜の森はこの2人の夢とつながっていたみたいで、冒頭では独裁的だったシーシアスは朝がくるとものわかりがよくなっているのである(ここは露骨に森の中の台詞のボイスオーバーなどでフラッシュバックが起こっていることが示されている)。これ以降はちょっとこの配役に引っかけたジョークが多すぎて、なんかやりすぎというかあざといような印象を受けるところもあったのだが、ボトムと恋をしたおかげでオーベロン/シーシアスが人間的に成長したという演出は悪くはないと思う(これには批判もあるようだが、私はむしろ人をアホにする恋の力のポジティヴな面を示す演出だと受け取った)。

 

 職人達の芝居の場面は自己言及的で、劇中劇がイマーシヴシアターだという設定である。つまり、イマーシヴシアターの上演の劇中劇が、劇中の観客であるヒポリタやオーベロン、恋人たちを巻き込んだイマーシヴシアターになっている。懐中電灯を客席に座っているヒポリタに向ける演出についてオーベロンが「これイマーシヴなんだな!」と言うところから始まり、最後はシスビーがヒポリタ、ヘレナ、ハーミアを運命の女神として客席から舞台に呼び込んで芝居に参加してもらうなど、なかなか工夫がある。ちなみに職人劇団のカンパニー名は"Rude Mechanicals"で、これは劇中で職人たちをくさす台詞からとってきているのだが、全員がこの劇団名がプリントされたおそろいの服を着て出てくるあたりもおかしい。