映像はすごいが、話は…『アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター』

 『アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター』を試写で見た。実は私はこれまで一度も『アバター』を見たことがなく、今回初めて見た(2009年9月からイギリス留学をしていたのだが、2009年後半から2010年初めにかけては留学したてでお金がない上、余裕があったら全部芝居につぎ込んでいたので、全く映画館に行く機会がなく、見逃した)。このため、新規追加シーンなどは一切わからない。

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 海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は戦闘中に負傷して両足が不随になり、車椅子での生活を送っていた。ジェイクは急遽、急死した双子の兄トミーの変わりとして「アバター」なるプログラムに参加することになる。このプログラムは、惑星パンドラに住む現地人であるナヴィと交流するため、地球の人類がナヴィのアバター(人間の意識を接続させて動かす分身みたいな人工生命体)と同期して現地フィールドワークをするというものであり、予算削減のためトミーの遺伝子にあわせて作られたアバターをジェイクが使用することになったのだった。ナヴィの専門家である研究者グレイス(シガニー・ウィーヴァー)の不安をよそに、ジェイクはすぐにアバターに適応し、ナヴィの人々と急速に交流を深めるが、ナヴィが住む場所にある鉱物を狙っている地球の会社は武力介入を計画していた。

 全体的に映像はすごいし、面白いと思うところもたくさんあったのだが、話のほうはちょっとどうかな…と思うところがけっこうあった。まず、あまりにもど真ん中な白人酋長もので、そこが鼻につく。ナヴィはアメリカ先住民にちょっと東洋思想が入ったような感じのいかにもな「高貴な野蛮人」で、純粋なナヴィは自分たちだけでは悪質なアメリカの企業(+軍隊)の攻撃から身を守る術を持たない。そこにやってきたジェイクが現地の文化を愛するようになり、白人の救世主として新たなリーダーになる…ということで、ナヴィを白人のリーダー(しかももともとは帝国主義的ミッションのためにやってきた人物)なしでは悪い白人植民者に対抗できない人々として描いているところは現地人の主体性を無視していてかなり問題がある。ナヴィのほうのキャスティングがだいたい非白人の役者なのも、まあ2009年としては気を遣っていたのだろうが、今見ると非白人は自分たちで抵抗運動を組織できないのか…と思ってしまう。

 もう一点、問題があるのは身体障害の描き方である。冒頭のジェイクは両足の不随のせいでまるで人生が終わりになったかのように落ち込んでおり、その治療費目当てでアバターのプロジェクトに参加する。そんなジェイクがアバターという拡張された別の身体に接続することで両足の自由を取り戻し、新たな人生の目的を発見する…という展開なのだが、これも今見ると別に車椅子にのっているからといって人生が終わりになったわけじゃないし、障害をちょっとネガティヴに描きすぎでは?と思ってしまう。2004年に『ミリオンダラー・ベイビー』が公開された時にもちょっとこういう議論があった気がするので、この頃の映画というのは身体障害の描き方がかなりナイーヴだったんだな…という気がする。