彩の国さいたま芸術劇場『ヘンリー五世』

 彩の国さいたま芸術劇場『ヘンリー五世』のプログラムに記事を執筆したので、招待で行ってきた。このプロダクションについては劇評を書くかもしれないので、メモ程度にしておこうと思う。

 

  • 台本のカットがとにかくひどい

 初日から非難囂々になっていたことなのだが、アジンコートの演説がほぼない(ほんの数語くらいで終わり)。一番の見せ場であるアジンコートの演説がない『ヘンリー五世』なんて脱がないバーレスクと同じでその時点でやる気がなくなるのだが、とにかくここをカットしたせいで全体がかなりおかしくなっている。

 まず、アジンコート演説はカットなのに、その直後にウェスモランドが言う、むしろヘンリーと自分だけで戦いたいくらい士気が上がったというむねの発言はそのまま維持されているので、なんでウェスモランドがいきなり感動したのか全くわからなくなっている。

 さらに、ここをカットするとヘンリーのキャラとしての成長がよくわからない。このプロダクションの松坂桃李ヘンリーはかなり暗い性格でしかもいろいろ悩んでおり(このキャラクター造形じたいはいいと思う)、第4幕第1場で身を隠して兵卒たちに会い、王に対する兵卒たちの不満を聞いた後には悩みの独白で泣き崩れるくらい精神的に追い詰められている。アジンコートの演説は、このような悩んでいるヘンリーが覚悟を決め、自らを一兵卒たちと同様の兄弟なのだとポジティブに提示することで逆説的に王としての成長を示す働きがあるはずだ。ここで自らの弁舌に自信を持つことができるようになったヘンリーが、言葉が効かない新たな戦いとしてのキャサリンへの求婚に挑戦する、という流れができるはずである。ところが、王としての自信の確立を示すアジンコート演説をカットしたせいで、最後の求婚場面はそれまで暗いキャラだった松坂ヘンリーがいきなりポジティブな感情を爆発させてるみたいに見える。アジンコートの演説をカットしたせいで、ヘンリーがなんだかめちゃくちゃ情緒不安定な人みたいに見えてしまう。

→ちなみに、私はプログラムではアジンコートの演説についての解説を書いており、原稿を出した時点で演説場面でカットがあるかもしれないと聞いていたので「※実際の上演時には台詞が変更されている場合があります」という注意書きをつけたのだが、さすがにここまでばっつりカットするのは本当にまずいと思う。これだと『ヘンリー五世』をちゃんとやったことにはならないだろう。

 なお、これ以外に目立ったカットとしては、第3幕第4場でキャサリンがフランス語で下ネタと言うところがカットされている。この語呂合わせみたいな下ネタは訳が難しいのでまあしょうがないのかもしれないが、キャサリン、下ネタも言わせてもらえないのか…と個人的にちょっとさみしい気もする。

 ちなみに、アジンコートの見せ場をカットしたのに上演時間は3時間以上あり、最初にはご丁寧に『ヘンリー四世』二部作のダイジェスト映像まで上演される。そして演出家である吉田鋼太郎が演じるコロスの台詞はあまりカットしないで目立たせている上、最初にフォルスタッフが出てきて最後もなんかフォルスタッフの影的なものを意識させて終わるのは、演出家の自意識が強すぎる。

  • 戦争場面はやりすぎ

 リアルな戦争描写はいいのだが、中世~近世ふうの美術なのに、戦争の場面ではヘリコプターみたいな近代戦の効果音が轟音で鳴り響くのはちょっとうんざりする。全体的に戦争描写はやりすぎである。

 ただ、フルエリンが弓兵を連れて入って来て弓を射るところはいい。視覚的に効果が高いし、時代考証的にも正しい(アジンコートでは弓兵が活躍した)。

  あと、アジンコートの前夜にフルエリンが半裸で自分を縄で打ちながら入ってくる演出もやりすぎだと思う。自分を鞭で打つ修行をするのはキリスト教でもかなり過激な宗派で、中世では異端認定されたりしている。これだとちょっとフルエリンが極端に禁欲的な人に見えすぎる。

  • 演技は悪くない

 けっこう暗くて悩んでいるヘンリー五世を演じた松坂桃李、堂々としたフランス王を演じた横田栄司、笑いをもってくフルエリンを演じた河内大和等々、演技は悪くなかった。

  • 美術

 美術は木製のやぐらを真ん中に周りに木の柵が壊れたみたいな建造物が並んでいるもので、ちょっと新国立の『ヘンリー五世』の美術に似てる気がする。途中からこの木のセットを動かしてもっと殺陣で動き回れるようなスペースを作り、階段を使った派手な演出などもやったりしている。アジンコートの場面はちょっと『プライベート・ライアン』を思い出した(それなのにアジンコートの演説がないのだが)。