ドナルド・トランプ時代のシェイクスピア~Kings of War (配信)

  ITAの配信でKings of Warを見た。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出でシェイクスピアの『ヘンリー五世』(ただし最初にプロローグみたいな感じで『ヘンリー四世』第二部の最後の切れっ端部分が入る)+薔薇戦争サイクルを4時間半くらいで上演するものである。アムステルダムからネットで有料ライヴ中継ということで、日本時間では深夜12時から始まり、途中で中継トラブルが発生して朝6時半までかかって終わった。

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 いかにもイヴォ・ヴァン・ホーヴェっぽい、四角い箱の上にスクリーンがあるセットである。セットも衣装も現代風だが、20世紀風な電話ホットラインがあったりして、21世紀の今よりはちょっとレトロな感じだ。舞台の前側は第一部(『ヘンリー四世』第二部最後から『ヘンリー六世』ほぼ終盤まで)では政府の作戦指令室みたいな部屋、第二部(『ヘンリー六世』の最後の切れっ端から『リチャード三世』まで)では王家の居間になっている。奥にディスカバリースペースっぽい白い廊下がついていて、ここもパフォーマンスで使用される。廊下で演技するところでは舞台全体を撮るのではなく廊下に入って撮影しており、妙に生々しくてたまに戦場レポートみたいだ(突然羊の群れが現れるなどビックリするような演出もある)。全体的に撮影して配信するということを徹底して計算した撮り方で、お芝居というかドキュメンタリー映像みたいである。

 お芝居5本分+αを4時間半くらいでやるということでものすごくすっ飛ばした展開なのだが、一応ちゃんとわかるように話をつないでいる。なんかたまにYouTubeの歴史解説ビデオみたいな雰囲気の図が出てきたり、『リチャード三世』の終盤は有名なセリフもカットするくらいすっ飛ばしているのはあまり感心しなかったが、それでも台本の編集はこの手のものとしては非常にちゃんとしている。カット方針はけっこう一貫しており、『ヘンリー五世』パートではいわゆる「有害な男らしさ」を示すような台詞をできるだけ残してヘンリー五世(Ramsey Nasr)に親しみを感じさせないようにしている。終盤の『リチャード三世』パートではリチャード(Hans Kesting)の過剰な自意識とコンプレックスがわかる台詞をできるだけ残す一方、リッチモンド(ヘンリー五世と同じRamsey Nasr)をカッコよく見せるような台詞は減らしている。ヘンリー五世とリッチモンドを同じ役者に演じさせ、あんまり美化しないことで、結局は私利私欲に基づく権力者の争いとしての政治を見せるようになっている。

 全体としては極めて演出がシャープで、長丁場だが飽きない。明らかにトランプ時代のシェイクスピア政治劇で、ヘンリー五世、ヘンリー六世、リチャード三世いずれもあまり良いとは言えない政治家である。初演は2015年でトランプ大統領就任前なのだが、「トランプ時代最初の偉大な舞台芸術作品」とか言われているだけあって、三人の王にそれぞれトランプ風味…というか、ダメな政治家らしさがある(トランプについては配信最初の前説でも少しだけ触れていた)。

 一番トランプっぽいのが、自意識過剰なリチャード三世である。鏡に自らの姿を映して話すのが大好きなリチャードはほとんど自分だけのごっこ遊びの世界に生きていて、現実との接点を失っているように見える。悪巧みだけは得意なのに現実を直視できないリチャードの性格が、機を見るのに長けたスピンドクターで、悪評を呼びそうな直接的な暴力には手を染めたがらないバッキンガム(Aus Greidanus jr.)との間に溝を生む原因になる。このプロダクションのバッキンガムはあんまり不愉快なところがないというか、比較的人間味も能力もある政治家で、呪いを吐くマーガレット(Janni Goslinga)のことは気遣おうとするし、王の崩御の時ですらちゃんとおやつのタルトだけは二枚目を食べようとしていて、あまり世の中に幻想を抱いていないタイプの現実的な政治家に見える。そういう有能な側近を追い払って自分だけの世界に閉じこもってしまうリチャードは、非常にドナルド・トランプを思わせるところがある。

 ヘンリー五世のトランプ風味は、やたらと好戦的に男らしさをアピールしようとするわりには男同士で絆を作るのが苦手そうなところだ。ハーフラーの演説はテレビ放送、アジンコートの演説は誰もいないところで声だけが響き渡るという演出になっており、序盤のヘンリー四世とのかかわり方からも示唆されているように、このヘンリー五世は独りよがりすぎてあまり対人関係が得意でなさそうな雰囲気がある。口では勇ましいことを言うくせに全く女慣れはしておらず、魅力的でスマートな大人の女性であるキャサリン(Ilke Paddenburg)に求婚する時にはものすごく挙動不審になってしまい、相手に余裕の笑顔であしらわれている。いくら立派な男ぶって周りに称賛されているとしても、中には幼稚でおどおどした少年が隠れているという演出だ。

 一番、気の毒なのがヘンリー六世(Eelco Smits)である。親の七光りでいきなり出世してしまった甘やかされた青年だというところがたぶんトランプ風味だ。ヘンリー六世はメガネをかけていて本好きで、今にもウィーザーのカバーバンドか何かに入りそうなオタクっぽい青年である。父親のヘンリー五世からは挙動不審さを受け継いでおり、政治的には全く無力だ。ヘンリー五世が勇ましい立派な王、ヘンリー六世はダメな王というのがシェイクスピア史劇におけるキャラクター造形だと思うのだが、このプロダクションではヘンリー六世が挙動不審さの点で父親似であり、実はこの父子は似ていて、ヘンリー五世が良い政治家だとかいうのも幻想なのでは…ということを示唆しているように思われる。

 そういうわけで、2015年初演とは思えないくらい今この瞬間のシェイクスピア劇だった。細かい小道具の使い方から撮影、演技まで行き届いている。ただ、途中で配信トラブルがあったのと、やはり時差があるとつらいので、次回からは短期間でもいいので有料アーカイヴで見られるようにしてくれないかな…と思っている。