久しぶりの「ちゃんとした」シェイクスピア~新国立劇場『リチャード二世』

 新国立劇場で鵜山仁演出『リチャード二世』を見てきた。

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 新国立で同じ座組で12年もかけてやっている史劇シリーズの最終作である(できればこの座組で『ヘンリー八世』『ジョン王』『エドワード三世』『サー・トマス・モア』とかもどうですかね、いやローマ劇だってありますよね…とか思ってしまうが)。ヴィジュアルプランはこれまでのシリーズからそこまで大きくは離れていない感じだが、衣類などは比較的時代劇らしい古典的な雰囲気で統一されている。リチャード二世はシリーズ中でリチャード三世役もつとめた岡本健一、ボリングブルック(別名ヘンリー)はこのシリーズでヘンリー五世やリッチモンドなどをつとめた浦井健治である。

 全体的に大変バランスの良い上演だ。近年の上演ではリチャード二世をやたら優男風に作るのが流行っているところがあったのだが、この上演のリチャード二世は、ハンサムではあるもののだらしなくて、時々けっこう無様でそこが笑える一方、終盤はしっかりかわいそうな人物になる。一方、ボリングブルックはいかにも颯爽とした反逆者として登場するのだが、終盤では既に王様としての重圧をキツく感じているような雰囲気だ。リチャードもボリングブルックもあまり理想化されておらず、全体的にちょっと引きの視点で政治の厳しさと滑稽さを浮かび上がらせるような雰囲気になっているのがよい。

 とくに面白いと思ったのは、第五幕第三場でオーマール(亀田佳明)の謀反の計画について、父のヨーク公エドマンド(横田栄司)が激怒して王となったヘンリー/ボリングブルックに厳罰を訴える一方、母のヨーク公夫人(那須佐代子)が許しを願うところである。ここは完全にドタバタコメディ、家族喜劇のように演出されており、ヨーク公夫妻の正反対の嘆願がテンポよく演出されていて大変笑った。あんなに厳罰を願っていたヨーク公エドマンドが、最後にオーマールが許されて一応ちょっと安心したような本心をのぞかせるところも含めて、ヨーク公一家の家庭生活が垣間見えるような場面である。こういう笑えるところがたくさんあるのは本当に良い。

 実のところ、リーディングでも映像でもないシェイクスピア劇でこういう「ちゃんとした」ツボをおさえた上演を見たのは久しぶりで、かなり感激してしまった。劇場が再開してから見たライヴのシェイクスピア関連作品の中には実のところあまり満足いくようなものがなかったのだが(リーディングの『リア王』は良かったがやはりリーディングだし、映像はいくら良いものでも生の舞台とは違うし…)、この『リチャード二世』は史劇シリーズをしめくくるのにふさわしい出来だ。もともと『リチャード二世』はわりと好きな戯曲なのだが、やっぱりこんなに面白かったんだ…と思った。