保守党の党首選みたいな上演~NTライヴ『リチャード二世』

 NTライヴ『リチャード二世』を見てきた。ジョー・ヒル=ギビンズ演出で、主演はサイモン・ラッセル・ビールである。

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 とにかく変わった演出で、テクストはばっさりカットして王妃すら出てこない。入り口も出口もないただの箱みたいなセットで、入退場がなく、基本的に上演中は役者が全員舞台に出ている。登場人物は全員現代の普段着を着て出てくる。役者数も少なく、いろんな人が衣装替えすらなしにとっかえひっかえ多数の役を演じている。

 

 全体的に、権力闘争のむなしさ、ばかばかしさみたいなものを全面に押し出した演出である。他の役者はみんな多数の役を演じているということもあり、キャラが立っているのはサイモン・ラッセル・ビール演じるリチャードとレオ・ビル演じるボリングブルックだけで、あとのキャラはほとんどコロスみたいな役どころである。『リチャード二世』というとカントオーロヴィチの『王の二つの身体』…で、この芝居ではリチャードの王としての政治的身体と自然的身体が問題になるという分析が有名なのだが、この演出ではリチャードは四六時中お尻をかいているそこらのおじちゃまみたいな感じで、最初から自然的身体…というか、王というよりむしろ党内を押さえきれずに降ろされそうになっている首相みたいに見える。ボリングブルックは冷徹な戦略家として演出されたり、あるいは正義にこだわる政治家として演出されたりすることもあるのだが、この演出では始終びびっていてなんか成り行きで王になってしまう政治家だ。中盤でボリングブルックが実権を掌握した後、臣下たちがやたらに決闘したがって大混乱になるという場面があるのだが、この場面のボリングブルックは全く部下たちを制御しきれずに途方に暮れているように見える。リチャードはダメな政治家だが、たぶんボリングブルックもたいした政治家ではない。そう考えると、まるでこのプロダクションは最近のイギリス保守党の党首選みたいな内容である。頭に据えられそうな政治家がしょーもねえやつしかいないので、問題が起こって首をすげかえてもたいして状況が好転しないのだ(それどころか悪くなる可能性も高い)。

 

 大きな変更として特徴的なのは、庭の場面である。庭園の場面は本来、王妃と庭師の会話が中心になるのだが、このプロダクションでは王妃が出てこず、庭の場面はリチャードの悪夢のような感じで、彼が抱えている内面の脅えを象徴する場面として演出されている。これはちょっと面白いと思った。

 

 そういうわけで、とても現代的な上演だし、サイモン・ラッセル・ビールやレオ・ビルの演技は大変良いのだが、一方でこんなにカットしまくって入退場や役ごとの違いも簡略化してしまうと、おそらくこの芝居を一度も読んだことがないし、舞台で見たこともないという人はあんまりよくわからないのではないか…という気がする。あえてぼかしているようなところも多く、決して初心者向けの上演ではない。つまらなくはないが、いろいろ疑問もある上演だ。

 

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