王の悲惨〜百年先俳優会『リチャード二世』

 東長崎てあとるらぽうで百年先俳優会による内田聡明演出『リチャード二世』を見てきた。あまり期待していなかったのだが、思ったより断然面白かった。いろいろ良くなかったところもあるのだが、演出が好みだという点ではデイヴィド・テナント版や蜷川の『リチャード二世』よりも個人的に上だ(あくまでも個人的な好みで、プラスこの芝居について今年中に学会発表するつもりだからとくに興味があるというのもあるのだが)。

 セットは脚立を置いただけのシンプルなもので、この脚立を王座や棺などに見立てる。舞台も座席も狭く、わりと暑苦しい感じなのだが、そもそも『リチャード二世』はあまり涼しい話ではないのでこのくらい暑苦しくて丁度良いのかもしれない。あまり小手先の見映えを狙っていないところは良い。

 とりあえずリチャード二世(荘司勝也)が最近の演出で人気の「美しい王」ではなく、あまり女性性とかを賦与されていないところがいい。少々チャラ男気味のリチャード二世で、そんなチャラい感じのリチャードが、見せ場である王冠譲渡の場面では目を真っ赤に血走らせ、涙だか鼻水だかよだれだか汗だかなんだか、よくわからない水分を顔中から滴らせて表情をグシャグシャにして悲しんで見せるあたりが悲惨きわまる。こういうあまり綺麗ではない、ぐちゃぐちゃな王冠譲渡の演出は王が王としての身体を捨ててみじめな人間になる様子を表すのにとても適していると思った。一方でボリングブルック(鈴木太二)もあまりステレオタイプに男男しておらず、動揺もすれば弱気にもなる人間味のある人物で、最後にリチャードの死体が担ぎ込まれるあたりでは本気でビビってそうなあたりがよかった。この2人のキャラクター造形はかなり私の好みである。最近の演出ではリチャードとボリングブルックを安易に女性性/男性性で分けがちだが、そうでないほうが芝居の複雑さが増して面白くなる。

 よくないところとしては主に二点ある。まず音楽の使い方で、「王の物語」についての歌はいらないと思う。リチャード二世がイングランドに上陸して「王の悲しい物語をしよう」というところはいい場面だが、ここだけで十分であって何度も歌で繰り返すとちょっとくどいしなんかダサい。他にも背景音楽の使い方でちょっと安っぽいように思える箇所がいくつかあった。もう一つ問題なのはリチャード二世が前半、常に王冠をつけているわけではないことである。王冠譲渡が山場で、王冠が王位にあることを象徴しているんだから、王である時のリチャードは常に王冠をつけていないとダメだろう。例の有名な台詞「うつろな王冠」のところですら王冠をかぶっていないのでこれは興ざめだ。