ロンドンコロシアム座、ケープタウンオペラによるソウェト版『ポーギーとベス』〜男性性と身体障害

 ロンドンコロシアム座でケープタウンオペラによる『ポーギーとベス』を見てきた。言わずとしれたガーシュウィンの有名作で舞台はアメリカ南部なのだが、ケープタウンオペラによる上演ということで舞台はアパルトヘイト時代のソウェトに移され、セットも南アフリカ共和国バラックになっている。開演前にはマンデラとか人種差別撤廃運動家たちの顔をプリントしたバナーが上からつりさげられ、誰が見ても南アフリカの話とわかるようになっている。

 で、なんかこれは障害のある男性とワーキングクラスの貧しい女性が人種差別に苦しみながらくっついたり離れたり泥沼の恋を…という暗いストーリーだという話をきいていたので正直あまり開演前はワクワクしておらず(この題材で三時間って相当陰鬱そうだ)、また人種的ステレオタイプで批判されているオペラだということなのであまり期待していなかったのだが、実際に見てみたら超面白かった。まず、かなりユーモアがあってそこまで始終暗いわけではない。とくにベスが離婚する場面とか、離婚をあんなふうに笑えるネタにするってそこだけスクリューボールコメディみたいで非常に笑えた(せっかく離婚できたのにまた前のクズ夫が戻ってきたりするあたり、悲劇が際立つというのもあるのだが)。それに人種的ステレオタイプというのも全く感じなかった。

 一応話を書いておくと、舞台はアメリカ南部の黒人街、キャットフィッシュ・ロウ。足が悪くて乞食をして暮らしているポーギーはヤクザ者であるクラウンの内縁の妻で元ヤク中のベスに純情な想いを寄せている。ところがクラウンはケンカで知り合いの青年ロビンズを殺してしまい逃亡。ベスは心の優しいポーギーにほだされて一緒になることにする。ところが街のみんなでピクニックに出かけた先で潜伏しているクラウンに遭遇、ベスはクラウンに無理矢理連れて行かれてしまう。ボロボロになって帰ってきたベスは熱病にかかるが、ポーギーや仲間の看病で回復、クラウンにされたことをポーギーに話してもうクラウンと会いたくない、ポーギーと暮らしたい、と言う。ところがベスを連れ戻そうとしたクラウンがキャットフィッシュ・ロウに舞い戻ってきて、ケンカの末ポーギーはクラウンを殺してしまう。ポーギーが足が悪いので警察には疑われなかったものの、死体検認の参考人という理由で横暴な警察に拘留されてしまう。ポーギーの留守中、かねてからベスを狙っていた麻薬売人のスポーティング・ライフが気弱になっているベスに麻薬を与え、ラリってほとんど正気がなくなっているベスを言葉巧みに籠絡してニューヨークまで連れて行ってしまう。拘留から解放されて帰ってきたポーギーはベスがいないのを知り、ニューヨークまで追いかけていくことを決断する…というもの。


 どうもこれが作られた1930年代というのは「アメリカの黒人というのは始終酒や麻薬をやっていて暴力的だ」というステレオタイプがあり、それゆえこういう話が人種差別的だと考えられたようで、まあそれならわかるのだが、なんというか人種(時によっては階級も)を問わず飲んだくれとか暴力とかが出てくる映画や舞台を見慣れた21世紀の観客にはあまりそうは見えないのでは…と思う。むしろクラウンとか人種・階級を問わず世界中にいるロクデナシDV男のアーキタイプみたいに見えて普遍的に「ああこういうヤツいるよね!」みたいになりそうだし、スポーティングライフもあそこまで露骨でなくても搾取する目的で女性を誘惑する男っていっぱいいる気がする(ちなみにこの虐待的ボーイフレンドキャラ二名はとても演技が上手で、とくにスポーティングライフがいかにも憎らしい精神的支配男だったので、歌手がカーテンコールで出て来た時は思わずブーしてたお客さんがいた)。ただ、ベスは共依存まっしぐらの心は優しいが気が弱くて心細くなると男に頼らずに生きていけない被虐待妻なので、若干ステレオタイプという気もしたが…それでこういう問題のバックには南アフリカの猛烈な人種差別と貧困があるわけで、そのあたりの演出がオペラなのにやたらリアルで引き込まれる。

 ただ、このプロダクションで一番問題になるのはポーギーだろうなぁっていう気がする。ポーギーはこのオペラを生き延びるほとんど唯一の精神的にマトモな男で、振る舞いは大人だし優しくてベスのことを尊敬しており、虐待的な他の男どもとは一線を画していて理想化されているとすら言えると思う(これがこのプロダクションの特徴なのか、それとも他のプロダクションでもそうなのかはわからないのだが、主演の歌手は明らかにポーギーを傷つきやすい英雄として歌っていたように思う)。で、これってつまりポーギーは足が悪いので、男性中心主義的悪徳(虐待とか暴力とか)の象徴である素早い動きを剥奪されており、ゆえにそういう悪徳から自由だ、という演出なんだろうと思う。しかしながらポーギーはこういう男性中心主義的悪徳からは逃れているが、同時に伝統的に男性のものとされている美徳(強さとか弱い者を守る勇敢さとか女性に好かれるカッコよさとか)をも手に入れることができず、自分の障害をバカにしベスを無理矢理連れ戻そうとするロクデナシのクラウンを殺すことでそういう男らしさの美徳を獲得しようとしている。こういうポーギーの描写は男性性をめぐるヒーローの葛藤としては見応えがあるし考えさせられるが、障害の描写として適切なんだろうか、っていう気はする。障害によって男性特権が剥奪される、っていうのは『ジェーン・エア』とかにも見られるオーソドックスな手法だと思うのだが、ポーギーは『ジェーン・エア』のロチェスターなんかよりはるかに穏和でオトナな男性なのに男性性をめぐって葛藤する、っていうところが面白いといえば面白く、問題があると言えば問題がある。

 …と、いうことで、人種問題を描いたオペラなのに私の感想はジェンダーと障害に集中してしまったのだが、全体としてはやっぱり南アフリカの人種差別と貧困にすごく切り込んだ感じの演出でいろいろな意味で見応えがある。有名曲「サマータイム」ほか、音楽も踊りもクラシックとジャズと東欧民謡をまぜこぜにしたハイブリッドな感じなのにとても美しく躍動感があってキャストの歌や踊りもいいし、超オススメ。