サヴォイ座『キャバレー』〜ウィル・ヤングvsナチス

 サヴォイ座で『キャバレー』を見てきた。言わずとしれた映画版で有名なミュージカルで、2006年に一度ウェストエンドで上演されたヴァージョンの再演なのだが、キャストは変わってて今回はエムシー(キャバレーの司会者)の役がウィル・ヤングになってる。

 実は舞台版の『キャバレー』は映画の『キャバレー』とは結構違っている。映画のほうはベルリンでアメリカ人の女性歌手とイギリス人のバイセクシャルの青年ブライアンが恋に落ちるという話だが、舞台版はアメリカ人の男性クリフとイギリス人の女性歌手が恋に落ちる話である。それで、たぶん一番の違いは映画版でライザ・ミネリが演じたサリー・ボウルズは歌も踊りも一流でそれこそベルリンのナイトライフの花形みたいな感じだったが、舞台版のサリーは可愛いがあまり歌が上手じゃなくていかにも場末のショーガールで終わりそうな感じだということ(これはなかなか演出の難しい設定で舞台でないと機能しないように思うので、映画版でとにかく歌えるライザにやらせたのは良い変更だったと思う)。あと、映画にあったマックスやフリッツ、ナタリアの話は舞台版にはなく、ユダヤ系の青果商シュルツと下宿の女将であるシュナイダーの熟年同士の悲劇的な恋の話がある。

 演出は全体的に非常にゲイテイスト満載で派手派手しく、とくに前半は明るく華やかな感じであまり退廃的なムードはない。最初の場面では舞台にWILLKOMMEN(最初の歌のタイトル)というでっかい文字の壁がたっているのだが、わざわざWILL(最上段)-KOM(中段)-MEN(最下段)と三行に分けて配置しているあたり、どう見てもウィル・ヤング(Willっていう名前でゲイだから)のゲイのファン層をターゲットにしているとしか思えない。ど真ん中にあるOのところには仕掛けがしてあって、なんとこのOの中から半ズボン姿のウィル・ヤングが登場してくるという意表をついた始まり方。半裸にハイソックス姿の男性ダンサーがたくさん出てきて、そのうちのひとりであるボビーがいきなりクリフといちゃついたりするあたりも非常にあけっぴろげなゲイテイストで健康的である。
 ところが、この健康的なムードが第一幕終わりあたりで非常に不気味な感じに変わってくる。一幕最後の歌は'Tomorrow Belongs to Me'なのだが、ここではウィル・ヤングがナチスの将校に扮して登場。ハーケンクロイツ形の取っ手にたくさんヒモをつけて、そこにキャバレーダンサーがヒモで人形劇の操り人形のようにつなげられた状態で踊ったり歌ったりする、という趣向でナチスの台頭を表現する。第二幕はナチスのせいでシュルツさんとシュナイダーさんが引き裂かれるなどどんどん暗い話になっていき、最後は全裸になったキャバレーダンサーと囚人のような地味な服装になったウィル・ヤングがお客に背を向け、どう見てもアウシュヴィッツを思わせる壁のセットの中、雪(←毒ガスの暗喩)が降りしきる中暗転…という、あからさまにホロコーストを想起させる演出で終わる。全体としてこの上演では「ファシズムは全ての市民生活を破壊する」ということが強調されていると思うのだが、ここでいう「市民生活」には、シュルツとシュナイダーの脇筋で表されるいわゆるカタギな人々のつつましい経済活動・家庭生活と、一見それとは正反対に見えるベルリンのキャバレーの性的にしっちゃかめっちゃかでクリエイティヴな文化活動の両方が含まれている。この二つは大変違うものであるようだが、実は両方とも市民の自由に基づいて栄えているものであり、ファシズムはどっちもめちゃくちゃにしていくのだ。

 こういうことを強調するにあたり、ウィル・ヤングがエムシーの役だっていうのは結構効いている気がする。あまりとんがってはいないのだが、反ファシズムのメッセージをわかりやすくお茶の間から来た人々に届けるという点についてはかなり貢献していると思う。最初は映画版でジョエル・グレイがすごかったあの役をウィル・ヤングができるんだろうかと思ったが、ゲイテイスト満載で不穏さとか不機嫌さも上手に醸し出している一方、なんとなく安心感があるというかお客さんの守備範囲にやすやすと入ってこられるなれなれしさがあるので(さすがポップアイドル優勝者)、最後にうってかわって地味な服でヤングが出てくると本当に悲劇的な感じがする。歌はもちろん歌えるし、そりゃグレイには及ばないかもしれないけどあの年齢でこんだけ存在感があれば全然いいのではないかと思う。ヤングが出てくると舞台がびしっと引き締まる感じがする。

 一方、サリーとクリフのほうはちょっと…なんというか映画版に比べると2人の間にあまり性的な緊張感がなく、ファシズムに翻弄されるクィアな恋人たちというよりはただのゲイとファグハグのどつきあいみたいに見えるところが結構あるのがよろしくない。まあライザ・ミネリに比べるのはよくないかもしれないが、ちょっとミシェル・ライアンが明るすぎて、ライザが醸し出していた基本ヘテロ女なのにキャンプでなんとなくクィアだというあの独特の感じがないのである。シュルツとシュナイダーの熟年カップルのほうがずっと悲劇の恋らしく見えたと思う。全体的には非常に面白かったので、主筋のカップルがそんなによくないというのが残念。