ディズニークラシックはマシュー・ヴォーンを雇わない~『アラジン』

 『アラジン』を見てきた。1992年のアニメ版は子供の時に学校で見た覚えがあるのだが、その時は吹き替えが羽賀研二で大変印象が悪く、その後英語でちらっと見てロビン・ウィリアムズの話芸がすごいのには感心した覚えがある。

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 お話はかなりオーソドックスなおとぎ話で、アグラバーの都でこそどろをして暮らしていた若者アラジン(メナ・マスード)が、おしのびで町に出てきていた王女ジャスミン(ナオミ・スコット)と出会う。ジャスミンは王子と結婚しなければならないことになっていたが、自立心旺盛な性格ゆえなかなか結婚に気乗りがせず、女だからといってサルタンになれないことに反発していた。アラジンは野心的な大臣のジャファー(マーワン・ケンザリ)のせいでひょんなことから魔法のランプを手に入れ、三つの願いを叶えてくれる精霊ジーニー(ウィル・スミス)の助けでジャスミンに求婚するところまでこぎつける。ところがジャファーがあの手この手で邪魔をしてきて…

 

 だいたいお話は原作のアニメに忠実なのだが、最後に流れる主題歌「ホール・ニュー・ワールド」が今風のメリスマの少ない歌い方になっているのをはじめとして(これはお話に組み込まれている歌ではないのだが)、会話がそのまま歌になるみたいなナチュラルな撮り方にこだわっているようで、アニメに比べるとミュージカル風味が薄めになっていると思う。監督がガイ・リッチーであるせいでとにかく狭い下町の街路とかをしつこくしつこく撮っているのだが、とくに序盤のアグラバーの街でアラジンが歌うところなどはその場で動きながら歌ったのを撮っているのかと思うようなリアル志向な感じである。ただ、ウィル・スミス演じるジーニーが出てくるとなかなかそうもいかない…というか、もともとのジーニーがロビン・ウィリアムズの非常に個性的な人間離れした話芸を想定して書かれているせいで、ジーニーが司るミュージカルシーンだけはまるでアニメみたいに華々しく芝居がかっていて、ちょっと統一感がない印象だ(まあ、魔法を使う精霊にリアリティを求めてもしょうがないのだが)。

 

 たぶん改変で最も重要なのは、ジャスミンがサルタンになるべく帝王学を学んでいる野心的な王女だということだ。ジャスミンがかなり「王の器」として描かれている一方、アラジンは下町の気のいいにーちゃんで、王子のフリをしてジャスミンと謁見してしどろもどろになってしまうところが強調されているあたり、外交系のお仕事が全く向いていない。アニメ版に比べて新『アラジン』では、あんまり政治家には向いていなそうな庶民的なヒーローが国王になるつもりのプリンセスと結婚して玉の輿に…という要素が強い。これははっきり言って『キングスマン:ゴールデンサークル』とほとんど同じである。アラジンはエグジーと同じくアンダークラスのにーちゃんで、機転を使って王女様と結婚し、階級階梯上昇を果たす。プリンセスと結婚したい男の子の夢を実現してくれるヒーローなのだ。

 

 しかしながらこの『アラジン』の監督は『キングスマン』シリーズのマシュー・ヴォーンではなく、その協働者でやっぱり「下町のガキが王様に!」話である『キング・アーサー』を撮ったガイ・リッチーである。たぶんディズニー的には、あまりにも暴力的でユーモアセンスがブラックなマシュー・ヴォーンにはクラシックのリメイクは任せられなかったのでは…と思う(ガイ・リッチーも暴力のほうはたいがいだが、一方でキレイなものへのこだわりが強いからディズニー的様式美とわりとマッチする気がする)。これはウィル・スミスをジーニー役に起用しているところでもちょっと思ったのだが、たぶんウィル・スミスはジャック・ブラッククリス・ロックを起用するよりもだいぶ安全牌だ。日本未公開のSorry to Bother Youの予告で、アフリカ系アメリカ人男性の話し方についての会話で「ウィル・スミスレベルのシロさじゃない」という台詞があるが、ウィル・スミスはアフリカ系アメリカ人の文化に根ざした音楽とかコメディの伝統をふまえている一方で、白人ミドルクラスにもウケそうな感じの良さを持ったスターである。ロビン・ウィリアムズはアニメの『アラジン』を撮った時に非常にディズニーとモメたそうだが、モメずにレガシーを継いで真面目に仕事してくれそうなウィル・スミスがジーニー役というのはまあディズニーらしいと思う。

 

 なお、この映画がベクデル・テストをパスするかはかなり微妙だ。アニメ版には出てこないダリアという侍女が出てきてけっこう大きな役だし、ジャスミンとの自然な会話はたくさんあるのだが、ほとんどはアラジンや父などにかかわるものである。ジャスミンがサルタンになれないことやお風呂などに関する大変短い会話があってそれでパスするかもしれないのだが、どれも前後に男性の話が入っているので判断しづらい。