ドンマーウェアハウス座、オールフィメール『ジュリアス・シーザー』〜プロペラの罪は重い

 ドンマーウェアハウス座で男役を含めて全て女優が演じる『ジュリアス・シーザー』を見てきた。女子刑務所で『ジュリアス・シーザー』を上演するという設定で、何もない灰色のセットにイスやテーブルなど最小限の小道具でやる野心的なプロダクションである。

 で、とりあえず女優陣の演技とかは文句ない。ハリエット・ウォルターのブルータスはもちろん、アントニー役のクッシュ・ジャンボ(Cush Jumboで発音がよくわからないんだけどカッシュかも)にはなんともいえないスター性がある、と思ったところ、どうやらジャンボはこの間のナショナルシアターの『負けるが勝ち』でコンスタンス役を演じてた女優さんらしい。あの時とは全然違う印象だが、死んだシーザーにすがりつくところのホモソーシャル感満載な切なさから野心満々の政治家らしい演説まで柔軟にこなしていてとにかく若々しく生き生きとしている。演出も後半は前半より断然引き締まって良くなったと思うし、とくに戦場の場面でドラムセットにブルータスをのせて回転させながらヘビメタを演奏することで戦場の轟音を表現する演出とかは低予算ながらなかなかよく効いていたと思う。

 しかしながら、演出のほうは一言で言うと「プロペラの罪は重い」っていう感じで、私はそれほど好きになれなかった(プロペラ好きな人ならすごい楽しめると思うのだが)。とりあえず設定が女子刑務所という枠があるところがプロペラっぽく、テンポが良くて冷たく没入できない感じの演出といい、たまに出てくる轟音ロックといい、濃厚なホモソーシャル感といい、もろにプロペラの影響を受けてる。せっかくオールフィメールでやるのにこんなにプロペラっぽくする必要あるのか?あと、途中で刑務所であるという枠を思い出させるための演出が何度かあるのだが、そもそも女子刑務所っていう枠は必要なの?別に刑務所じゃなくても女だけで芝居やっていいじゃんか?

 それから細かい演出にもいろいろ疑問がある。まず、シーザーがキャシアスについて「あの男はもっと太っていればいいのに」というところはキャシアスの目の前で相手をこづいたり無理矢理ドーナツを食わせたりしながら言うということにされており、ここたしか元のセリフは'Yond Cassius has a lean and hungry look'(あっち側にいるキャシアスはやせてて空腹そうな見た目だ)というもので'Yond'があるから本来は遠くのキャシアスをちらっ、ちらっと見ながらシーザーがアントニーと密談するという演出にすべきで、そうでないとシーザーの人前ではいかにも堂々として誰にでも鷹揚だがが陰では他人の不満に気を使って恐れてもいる、みたいなキャラがうまく出ないと思う。キャシアスに無理矢理ドーナツを食べさせる演出にいたってはまるでシーザーがそこらのいじめっ子みたいなのでちっとも狡猾な政治家らしく見えない。それからたぶん設定が女子刑務所で小道具が限られているという設定だからなんだろうけど、とにかくこの芝居はもっと血をたくさん見せたほうがいいんじゃないかと思う。シーザー暗殺場面では全く血が出ず、血を浸す場面ではかわりに暗殺犯たちが赤いゴム手袋をはくという演出になっていて、まあ掃除の関係とかいろいろあるのかもしれんけどなんだかなぁって感じ。シーザーの死体のかわりに赤いゴミ袋が持って来られるところもそうだし…それから最後の決戦場面で、占い師のかわりとして出てくる少女が全裸でうろうろする場面にいたっては何をしたかったのかよくわからない。RSCの『マクベス』でマクベスに殺された人が全員亡霊になって戦場に出てくる演出があったのであれを真似たのかもしれないと思うのだが、占い師は別に恨みを持ってるわけじゃないんだし、せっかく二階のデッキが舞台として使用できるようにしたるんだからそこに立たせて俯瞰的な立場をとらせる、とかのほうがよかったのではという気がする。いやまあでもこういう変なところで過剰、変なところで控えめな演出はやっぱりプロペラの悪影響のひとつでは、って気もしてしまう。

 そういうわけで演出にはかなり疑問があったのだが、野心的であることは間違いないし、なんだかんだで全体的に勢いがあり、楽しめることは楽しめるので、見ておいて損はないと思う。チケットもうほとんど売れちゃってるみたいだが…