19世紀〜20世紀初頭の英国、女性柔術家が参政権のために立ち上がった!エメリン・ゴドフリィ『ヴィクトリア朝文学と社会における女性性、犯罪と自衛:刀扇子から女性参政権運動家まで』

 19世紀〜20世紀はじめの英国の女性の自衛に関する研究書、Emelyne Godfrey, Femininity, Crime and Self-Defence in Victorian Literature and Society: From Dagger-Fans to Suffragettes, Palgrave Macmillan, 2012(エメリン・ゴドフリィ『ヴィクトリア朝文学と社会における女性性、犯罪と自衛:刀扇子から女性参政権運動家まで』)を読んだ。

 著者の前著はMasculinity, Crime and Self-Defence in Victorian Literature: Duelling with Dangerでその女性版ってことらしいのだが、この男性の自衛についての本は読んでない。女性版は主に1850年から1914年頃までの英文学(新聞・雑誌を含む)を主なテキストとし、ヴィクトリア朝(+エドワーディアン)の女性の一人歩き、スポーツ、護身術などがどう描かれていたかを分析するというもの。小説としてはアン・ブロンテとか、H・G・ウェルズの『アン・ヴェロニカの冒険』みたいに日本でも若干なじみのあるものからエリザベス・ロビンズのThe Convertとか、シャーロック・ホームズの女版みたいな初期ミステリみたいに英国人でもほとんど知らないであろうものまで広くカバーしている。

 この本で一番面白いのは、サフラジェット(女性参政権運動家)で英国初の本格的な女性柔術教師として他の女性たちに柔術を教えたり、ボディガードをつとめていた武道家イーディス・ガラッドの話である。最近、日本女子柔道で発生した指導暴力事件について、告発した選手をバックアップした山口香選手が注目をあびているが、既に世紀転換期ロンドンにも女性の権利を守り正しいことをするために頭を使って頑張っていた女性柔術家がいたのである。以前写真をのっけたが、イーディス・ガラッドについてはイズリントンにブルー・プラークがたったりしてこの人は最近けっこう注目されている。

 ゴドフリィによると、イーディスが教師として働き始めたエドワーディアン時代には女性向けの護身術というのは既にけっこうよく知られているものだったそうだが、女性の武道家が自分で先生になって東洋武術なんかを教えるというのは非常に珍しいことであったらしい。ガラッドは夫も武道家だったそうで、最初はシャーロック・ホームズも習ったという噂のバートン流柔術(ホームズのほうではバリツになってるのだがこれはバートンのバーティッツという術がモデルという話)を教えてたエドワード・ウィリアム・バートン=ライト(護身術を習いたい女性の弟子をかなりとっていた)についたあと、日本出身の上西貞一に柔術を習った(上西もかなり女性の弟子をとっていたらしい)。上西が日本に帰ったあと、イーディスの夫ウィリアムが道場をひきついだので、イーディスはそこで女性や子供向けのクラスを担当するようになったそうだ。

 女性参政権運動家はいろいろな嫌がらせにあうことがあり、警察に胸をつかみあげられるなどの暴力を受けたこともあったので(p. 78)、護身術はかなり役立つ技術だったらしい。我々のイメージだと世紀転換期の女性が武道なんてやるのか?!と思ってしまうのだが、なんでもヴィクトリア朝末期からエドワーディアン時代あたりになると柔術は女性にふさわしい運動と見なされるようになっていたそうで、柔術クラスは世間の風当たりが厳しい女性参政権運動の運動家たちにとっては格好の隠れ蓑になっていたらしい。柔術クラスやります、という名目にしておけば、道場に抗議運動で使うものを隠しておいたり、相談場所として道場を使っていて万一警察のガサ入れがあった場合でも、「ご婦人方が柔術をやっているだけですので、殿方はご遠慮いただきたいの」みたいな言い訳で誤魔化すことができる(pp.101-02)。

 こういう警察を欺くテクニックからもわかるようにどうもイーディス・ガラッドというのは単なるストイックな武道家でも理想主義的な政治運動家でもなく、相当に商売や政治の才がある女性で、うまいこと警察を出し抜きながら参政権運動をする一方、自分の柔術教室を売り込むということを非常に精力的にやっていて、自分のパブリックイメージにすごい注意を払ってたらしい。フェミニスト的な女性たちを弟子として取り込む一方、女性が武術を身に着けることを恐れる男たちをうまいことなだめる話術も持っていたので(「私たちが本気でぶちのめすのはならず者だけですわ!あなた方紳士はご安心なさってよろしいのよ」的な)、かなりメディアからも注目されており、初期のサイレント映画に登場するなど非常に英国ではよく知られていた。とくに晩年は英雄的なフェミニスト、カッコいい女子武道のパイオニア、みたいな感じで持ち上げられてたそうで(サフラジェットでも最近まで再評価されなかった人がかなりいることを考えるとこれは珍しい例なのかも)、やっぱり女ドラゴンは英国でも人気あるのか…とか思ってしまう。

 と、いうことで、柔術関係のところはかなり史料を掘り出しよく分析していて面白いのだが、タイトルに出てくるもう一つのポイント、ダガーファン(刀扇子)については説明が少なく、そもそもどうやって使うのかすら私はあまりよくわからなかったので、物足りなかった。ダガーファンとファンダガーは違う、という話が出て来たりするのだが、このあたりは扇についても武器についても服飾史についても知識ない人にわかるような書き方はされてないと思う。そのへんがちょっと残念。

追記:このエントリはもともとタイトルを「19世紀」としてたのですが、エドワーディアンの時代まで、つまり世紀転換期から1910年代までを扱っていて、もともとのタイトルがあまりよくなかったので、ちょっと変更しました。