モンティ・パイソンとシェイクスピアの歴史叙述を比較せよ!ダール・ラーセン『モンティ・パイソン、シェイクスピア、及びイングランドルネサンス演劇』

 ダール・ラーセン『モンティ・パイソンシェイクスピア、及びイングランドルネサンス演劇』(Darl Larsen, Monty Python, Shakespeare and English Renaissance Drama(Mcfarland, 2003)を少し前に読んだのだが、この間の歴史コミュニケーション研究会映画研究発表会つながりで紹介しておいたらいいかもしれないと思うので簡単にレビューしようと思う。

 本書の序論で述べられているように、シェイクスピアモンティ・パイソンの最大の共通点というのは、この二つは'Englishness'(イングランドらしさ)というもの、もっと言えばイングランド的ユーモアを象徴する、イングランド文化史上最も正典的なクリエイターであるということである。この本はシェイクスピア及びその他の正典的な英国ルネサンスの劇作家たちの作品とモンティ・パイソンを演劇性、ユーモア、歴史叙述、あるいは「他者」(Other)表象などの観点から比較検討することで、芸術における「イングランドらしさ」とでもいうべきものの伝統について考えよう、という著作である。全体としては「ああ、パイソンってやっぱりすごく英国演芸の長い伝統を踏まえてたからこそ革新的なことができたんだな」ってことがわかる本になっている。

 この本で一番面白いのはシェイクスピアとパイソンズの歴史叙述を比較検討した第三章である。シェイクスピアの史劇は英国の読者や観客に「歴史」として受容されているが、この間のリチャード三世関連発掘調査プロジェクトで話題になったように、シェイクスピアの史劇というのは史実にあまり基づいてなくてよく言えば自由、悪く言えば妄想爆裂の二次創作である。ラーセンがいくつか先行研究をひいて述べているところによると、シェイクスピアと同時代の他の作家を比べてもシェイクスピアはかなり史実を無視して自分の芝居コンセプトに沿うよう歴史改変をする、あるいは「歴史をつくる」タイプの作家であり、モンティ・パイソンも自分たちの喜劇のコンセプトにあうよう、歴史をめちゃくちゃに書き換えるクリエイターたちであった。例えばシェイクスピアの『ヘンリー四世』第一部・第二部に出てくるフォルスタッフは劇中の超重要人物である一方、歴史の規則に従う必要のない登場人物であり、その意味で大きな歴史の流れ自体をおちょくる人物ともいえるのだが、モンティ・パイソンの作った歴史関連コメディのほとんどにはこういうフォルスタッフ的歴史おちょくり要素が溢れており、フィリップ・シドニーがどういうわけだかスペイン人のエロ本密輸作戦と戦うスケッチとかはその典型例である(pp. 109-11)。こういうのを読んでいると、Englishnessというのは「イングランドはこういう正史を持っているんだ」という正典的な歴史の意識を背景に成立したものであるにもかかわらず、イングランド式ユーモアというものは自分たちを成立させている「正しい歴史」への諷刺というかおちょくりが基盤にあるんだなぁと思って、ナショナルアイデンティティというものの複雑怪奇さに興味をひかれる。そういう点でこの章はとても面白い。


 まあ全体的にけっこう面白い本なのだがいくつかツッコミどころはあり、私はモンティ・パイソンシェイクスピアってチームで作るショービジネスっていう意味でも似てるよなと思っていたのだが、この本では「シェイクスピアはあまり協働作業しなかったけどモンティ・パイソンはチームだから違う」(p. 6)的なことが書かれてて若干驚いた…んだけどたぶんこの本は2003年に出てて英国ルネサンス演劇における協働作業の話とかが今ほど人気なかったのかもしれないからまあしょうがないか。あと、各章テーマごとのつながりがやや見えにくいとか分析に物足りないところがあるとこもあったりはするんだけど、イングランドの喜劇的伝統に関する研究書としてはこれは基本書として読めるものではないかと思うので非常にオススメである。