ヨークシャ(7)ハロゲイト国際ギルバート・アンド・サリヴァン・フェスティヴァル

 さてさて、本命であるギルバート・アンド・サリヴァン・フェスティバルのレポートである。
 ギルバートとサリヴァンは19世紀末に活躍した喜歌劇の作者チームで、ギルバートが台本作家、サリヴァンが作曲家である。この人たちが作った一連の演目はサヴォイ・オペラと呼ばれており、英国ではものすごく人気があって年季の入ったオタクがたくさんいる。演目の内容は極めてむちゃくちゃなもので、しっちゃかめっちゃかなしょうもない爆笑展開と辛辣な諷刺に美しい音楽をつけて…というようなものである。まあ、19世紀のモンティ・パイソンリトル・ブリテンと思ってもらえばいいだろうと思うのだが、たいへん19世紀英国社会の習慣に沿ったものなのでおそらくそれに少し親しみがないと全然、面白く無い。このため、この祭りは国際と銘打っているが参加している劇団は全て英語圏、英国からの影響が強い地域の劇団である。ギルバート・アンド・サリヴァン英語圏以外で売れるような感じの作品ではない。
 ハロゲイトロイヤルホールという劇場の隣にユートピア(これもギルバート・アンド・サリヴァンの演目からとられている)という祭りのヘッドクォーターがあり、ここには物販、カフェ、レクチャースペースなどは設置されているほか、毎晩終演後にキャバレーと称してその日の出演者が軽く歌を歌うセッションがもうけられている。

 中にはギルバート・アンド・サリヴァンの演目に因んだ装飾がほどこされており、タキシードの紳士方もいたりしてなかなか濃いオタクな空間だ。




 『ミカド』に因んだ処刑台。『ミカド』は処刑大臣が大活躍する演目なのだが、このセンスは…


 ここがメイン劇場。プロの劇団はここで上演し、大学生の劇団などは別のハロゲイト劇場というところで上演する。

 私は今回のまつりでは五本の演目を見た。そのうち四本はこのフェスティヴァルで上演を行うことを主目的として結成された劇団、ナショナル・ギルバート・アンド・サリヴァン・オペラ・カンパニーの『軍艦ピナフォア』『ゴンドラの船頭たち』『ペイシェンス』『ミカド』である。この他に大学部門(コンペティションがある)の作品で私の母校であるキングズ・カレッジ・ロンドンの劇団が出した『ミカド』を見た。

 

 ナショナル・ギルバート・アンド・サリヴァン・オペラ・カンパニーの演目はどれも伝統的なスタイルで、衣装は19世紀風、セットなども凝っていてきちんとしている。歌だけではなくダンスがふんだんに取り入れられているのが特徴で、歌いながらかなり激しく踊る演出が多くて、これはすごい訓練をしているのだろうな…と思った。『ミカド』以外は今まで見たことがなかった作品だったのだが、どれもむちゃくちゃな筋の運びで爆笑を誘う話ばかりである。個人的にはある程度社会的背景が理解できる『ペイシェンス』が一番面白かった。この作品は唯美主義を皮肉ったもので(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやスウィンバーン、オスカー・ワイルドなどがパロられていると言われている)、詩人が女性の人気を奪いあうというものなのだが、どっちかというとまるで19世紀の『ズーランダー』みたいな感じである。モテ詩人バンソーンから人気を奪ったさらにモテ詩人アーチボルドは「オレって美しい…」みたいなことばっかり言っており、キメ顔ならぬキメポーズで女性陣は皆イチコロ、第一幕の終わりはアーチボルドが十数人の美女に服を半脱ぎにされて終わりである。全く無茶苦茶だ。
 『ミカド』は既に一度見たことがある演目で、これは日本を舞台にしたいわくつきの作品なのだが、正直、ニセ着物みたいなのを来たナショナルG&Sカンパニーの上演よりも前に見た全員英国風の衣装を着てやるイングリッシュ・ナショナル・オペラの上演のほうが面白かった。この作品は日本が舞台だとかなんとかほざいているが、これは全くのでたらめ…というとちょっと言い過ぎかもしれないけれども、作品全体が19世紀末の英国社会に対する辛辣な諷刺で、日本を舞台にしたのは英国が舞台だとなかなか言えないようなことをおおっぴらに言うためであることは火を見るよりも明らかだ。ここで日本ふうの衣装やセットを使ってしまうとかえってオリエンタリズムっぽく趣味が悪くなってしまい、もともとのテーマが薄められてしまうし、また日本出身者としてはちょっと受け入れがたい感じになると思った。
 一方でキングズ・カレッジ・ロンドンの『ミカド』は、歌や踊りはまあ素人だが、娘たちがセーラー服を着た女子高生になっている一方、男性陣はスーツで、セットは日本風の鳥居なのでちょっと違和感あるがそれでも設定としては比較的受け入れやすかった。大柄な英国女性たちがセーラー服姿でラクロスだかホッケーだかのスティックを持って入場してくるとちょっと怖く、この女子高生たちが'So Please You, Sir'を歌ったりすると謝ってるように聞こえず、まるでオヤジ狩りみたいだ。さらに女子高生のヤムヤムと結婚しようとするココは援交オヤジみたいで思わぬ味があり(役者がけっこううまかった)、良かったと思う。なお、歌はカティシャ役の役者が飛び抜けてうまく、大学部門のコンペティションでは最優秀女声賞にノミネートされていた。

 このフェスティヴァルは正規の上演以外にもいろいろイベントがあり、ミニコンサートや講演会の他、申し込みをすれば近隣の観光バスツアーとかも参加できるらしい。私はオペラ歌手のドナルド・マクスウェルの講演会に参加したのだが、ギルバート・アンド・サリヴァンに限らずいろいろなオペラ上演について研究に役立つような話がたっぷり聞けてたいへん面白かった。また、コンペティションがあり、最終日の前の日に表彰式が行われる。これも聞きに行ったのだが、成人劇団ばかりではなく、若者にギルバート・アンド・サリヴァンを広めるため、大学やそれよりも若い人たちのプロダクションに対して賞が出るそうで、継承や若いファンの開拓に非常に力を入れているという印象を受けた。これは演劇文化一般の興隆において必要なことだと思うので、すごく良い試みだと思う。

 なお、終演後に毎日行われるミニコンサートはかなり濃いもので、歌手が歌う曲目はギルバート・アンド・サリヴァンに限らずミュージカルやポップスもあるのだが、ギルバート・アンド・サリヴァンの歌を歌う時は会場の人が全員、一緒に唱和する。どうも歌詞を全部覚えているそうで、歌手が合図しなくても合いの手を入れたり、オタ芸炸裂であった。最終日は全員起立して『ペンザンスの海賊』より'Hail Poetry'を合唱して終わりだったのだが、タキシードのおじいさま方(たぶん退役軍人とか)が起立斉唱しているのを見るとあまりのBritishnessに、イマドキこんな大英帝国の残り香たっぷりの空間があったのか…とびっくりしてしまった。まったくものすごくイギリス的で濃いオタクコミュニティである。