デイヴィッド・ワインバーガー『知るには大きすぎて』(Too Big to Know)〜思想系ギークがウェブの時代の知識を考える

 少し前にデイヴィッド・ワインバーガー『知るには大きすぎて:事実は事実ではなく、専門家はどこにでもいて、部屋で一番冴えてるヒトは部屋自体』(David Weinberger, Too Big to Know: Rethinking Knowledge Now That the Facts Aren't the Facts, Experts Are Everywhere, and the Smartest Person in the Room Is the Room, Basic Books, 2011)を読んだ。

 著者は哲学の博士号をとった後情報技術の専門家になったらしいのだが、この本は一応一般書(注とかはあるけれども)だと思うんだけどすごいギークな感じで書かれている。ローレンス・レッシグとかもそうだと思うのだが、北米のギークカルチャーどっぷりで理念を持って情報技術に携わっているような人(うちはひそかに「思想系ギーク」と呼んでるんだけど)ってすごい独特の書き方あるよね。

 内容はタイトルどおりで、今では知識というのが開かれていて明確な始まりとか終わりとかのないネットワークになってる、という話である。これはどうもピンとこないところもあり、昔も知識っつーのはネットワークにあったんじゃないか、という気がしないでもないのだが、ワインバーガーは'Knowledge is now a property of the network'(Prologue)「知識は今やネットワークの財だ」と言ってて、この'property'っていうところがキモなんじゃないかなぁ…という気もする(公共財的なイメージ)。ワインバーガーいわく、今問題なのは誰が冴えてる、とかいう話じゃなく、いろんなところから知識が提供されるネットワーク自体を冴えたものにすることだ。「我々の仕事は冴えた部屋の作り方を学ぶことだ。つまり、自分たちを冴えた人にしてくれるネットワークをどう作るか。とくに、これが失敗してしまった時は我々は痛ましいほどおばかになってしまいますからね」(Prologue)ということで、これっておそらく情報技術だけじゃなく、民主主義とか公共圏とかそういう話なんだろうと思う(私はいろんな特殊能力を持った一般市民が互いに足りないスーパーパワーを補いあうテレビドラマ『ヒーローズ』を思い浮かべてこれを読んでた)。

 で、どうやってネットワークを冴えたものにするか、というのがいろいろな例題を使って議論されているのだが、なんというかワインバーガーの書きぶりを見ていると、やっぱり情報を広めることで専門家同士が協力できるようになる利益のほうがデマが広まるリスクとかより高いんじゃないか、っていう気がしてきた。油流出事故の話をきいたセメントの専門家が「この方法使えるんじゃないの」と言ってきたおかげで長年流れっぱなしになっていたアラスカの重油が回収され…という話がのっているのだが、ここでワインバーガーは「クラウドの知恵そのものじゃなく、クラウドがすごくデカいせいでそのクラウドにたまたまいた専門家に情報が届く」ことの重要性を論じていてははあなるほどと思った(p. 54)。

 そういうわけで本題のほうも面白いのだが、私がこういう北米の「思想系ギーク」の人たちの本が好きな理由のひとつとして「楽観的で知識を愛している」というところがあり、この本もそういう感じなので読んだ後心が温まる感じがするのがいいと思った。インターネットのせいでデマが…とか暗い未来ばっかり描く本はそこらじゅうにあるけど、基本的には楽観的な見通しとか信頼のもとでさまざまな大問題にマジメに(あるいは悲観的に)取り組もう、っていう態度じゃないとやる気が続かないと思うので、その点この本の「不断の努力で冴えたネットワークを維持するぞ」というスタンスには非常に共感する。