基地の外を嫌うイアーゴーと反乱するエミリア〜ニコラス・ハイトナー演出、NTライヴ『オセロー』

 NTライヴの『オセロー』を日本橋のTOHOシネマズで見てきた。これは去年上演されたもので、ニコラス・ハイトナー演出、エイドリアン・レスターがオセロー役でイアーゴー役がローリー・キニアという、これ以上ないような配役の演出である。

 美術も演出も、非常に軍隊における兵士同士の密接な人間関係に焦点をあてたものになっている。セットも衣装も完全に現代風で、舞台装置はヴェネツィアにいる間はダウニング街みたいな内閣の会議室、キプロスでは軍事基地のそっけないオフィスや男子トイレなどである。いくつかの可動式の箱にセットを入れて場面が変わるとその箱が出たり引っ込んだりするという、ナショナルシアターお得意の場面転換が行われているのだが、映像で見るとちょっと転換のやり方がよくわからないという欠点はあるかもしれない。

 レスター演じるオセローはとにかく素晴らしい。最初は輝くばかりの自信と美に満ち、威厳と機知に溢れる有能な将軍として登場し、これなら将来は将軍どころか議員も狙える…というような落ち着きを示す。大公が「これなら私の娘でもイチコロだろう」と言う台詞があるが、まさにヴェネツィア中の女が惚れても誰も驚かないようないい男だ。しかしながらイアーゴーに疑念を吹き込まれるとそこからだんだん美しさを失い、憂鬱に皺のよった顔は急に老けこんだかのように見える。人の美しさというのが内面の自信に裏打ちされているということを非常によく示している演技だと思った。『レッド・ヴェルヴェット』の時も、レスターの一瞬で急に老けたり若くなったりする変幻自在ぶりには驚いたが、この一切化粧や衣装の力を借りなくても「見た目」(年齢とか美しさとか)をたちどころに変えられる器用さに関してはレスターはすごいと思う。イリュージョンを操る男だ。

 一方でローリー・キニア演じるイアーゴーはたたき上げの軍人で、軍という組織とそこにある軍人同士の結びつきに生きる価値を見いだしているが、実はそこまでそれにうまくフィットしきれていない男である。途中で上映されるメイキング映像にもあったが、この演出では役者を軍人らしく見せるのに非常に気を遣ったのにイアーゴーだけはわざと軍服を崩して着ているそうで、これはイアーゴーの性格をよく表している。キニアのイアーゴーは上官に信頼され出世することだけを願っているのにどうもうまくいかず、おそらく本来は敬愛していたのであろう上司オセローに軍人として評価されなかったことを信頼に対する裏切りと見なしているのである。とくに、何度もわざとらしく「ムーアが憎い」というあたりの台詞回しからは、「信頼を裏切られた」というような感情が透けて見える。心血を注いでいる仕事が実はうまくいかなくて汚いやり方で上司に復讐しようとするという点でにおいて、このイアーゴーは何にでも知恵を働かせることができる超人的な悪党ではなく、弱みも人間みもある、いくぶん我々に近いところのある悪党なのだと思う。妻の不倫の噂をすぐ信じてしまうあたりからも、このキニアのイアーゴーは公平な業績・人格の評価よりはもう少し私的な情に流れてそれをネガティヴに解釈してしまうタイプであるようだ。とはいえキニアは完全に情に流れているような演技はしておらず、ドライで喜劇的とも言える演技を見せる。もともとイアーゴーというのはリチャード三世同様、かなり喜劇的センスを必要とする悪役なのだが(中世劇のViceだもんね)、デッドパンをかましたかと思えば一人の時は大げさに喜んだりするキニアの演技はメリハリのある笑いを提供してくれる。この笑いと最後のクライマックスの落差が激しいので、見ていて飽きない。

 この演出は軍隊の要素を演出で非常に強調しており、いかに軍隊というのが特殊な組織であるのか、という非常に現代的な問題まで観客の考えを導いてくれるものだったと思う。軍隊というとホモソーシャルな組織であり、この芝居においてもそういう要素はあるのだが、面白いのはこの演出ではエミリアも軍服を着た女性軍人で、デズデモーナの侍女というよりはむしろ女ボディガードみたいに見えるところである(他にも少し女性軍人がいるのだが、そのわりに休憩室にはグラマーモデルの写真とか貼ってあって、芸が細かい)。この演出におけるエミリアは完全に軍の組織に組み込まれているので、最後に夫であり、そしておそらくは上役でもあるのであろうイアーゴーに「従わない」と宣言することは軍隊秩序からの離脱を意味する。軍務にすべてを捧げているイアーゴーにとって、やはり軍隊の序列に組み込まれている妻エミリアは扱いやすい存在であったのだろうが、この反逆により上官としての権威も失ったイアーゴーはエミリアを処刑することでこの「反乱」をおさえようとする。イアーゴーの軍務へのこだわり、軍と基地の外にあるものへの嫌悪を考えていくと、イアーゴーがただ一人軍服を着ていない文民であるデズデモーナを陥れようとしたのも、キプロスの一般人であるビアンカに罪を着せようとしたのも、軍隊の外にある領域、軍人同士の結びつきが通用しない世界に対する嫌悪からであるとも言えるかもしれない。イアーゴーはオセローと違い、有能さを見せることができなかった軍人であるわけだが、それゆえに自信がなく、それを補うかのように軍隊外のものを排除しようとする。さらには家庭生活という軍務外の領域でも成功をおさめようとしているオセローから、自分同様に軍人としての自信を奪おうとする。

 そういうわけで、演出の点でも演技の点でも最後までわくわくして見ることができる、素晴らしい『オセロー』だった。是非映画館で映像見て下さい!まだ空いてるみたいだし。