悪趣味を正しく狙って正しく撃ち落とす、が…『キングスマン』(ネタバレあり)

 マシュー・ヴォーン監督、『キングスマン』を見た。

 舞台はイギリス。エージェント組織、「キングズマン」のメンバーが亡くなり、新しいメンバーリクルートすることになった。ふだんはサヴィル・ロウの仕立屋のフリをしているコードネーム「ガラハッド」ことハリー(コリン・ファース)は、ちょっとしたトラブルをきっかけに亡くなったかつての戦友の息子ですっかりグレているエグジー(タロン・エガートン)をスカウトし、教育しようとするが…

 上に書いたあらすじのさわりからわかるように、この映画はスパイ版『ピグマリオン』みたいな話で、作中に『マイ・フェア・レディ』へのオマージュ的言及もある。ヒギンズ教授に相当するのがハリーで、エグジーがイライザなのだが、エグジーはイライザみたいな上昇志向のあるワーキングクラスというわけではなく、公営住宅に住んでいて義父に虐待されているアンダークラス(UKでよく話題になっている、福祉に頼って生きてる階級)の不良少年ということでイライザよりさらに困窮している若者である(イライザの親父さんもしょうもない人だが、エグジーの義父は身体的にひどい暴力をふるってくるのでより悲惨だ)。こういうエグジーをいろいろな意味で英国男子の鑑のようなハリーが教育して真のキングズマンにしようとするわけだが、キングズマンのトップであるアーサー(マイケル・ケイン)はアンダークラスの若者が入ってくるのが気にくわず、またエグジーと同時にスパイ教育を受けることになったクラスメイトの中にも超ポッシュな連中がいてエグジーをバカにしたりする。そういう中でエグジーは機転と努力でチャンスをつかんでいくわけである。

 こう書くと階級社会に対する批判が強烈な作品に見えるかもしれないが、実のところそこまで強烈というわけではないように思う。というのもこの作品における価値観というのは「アンダークラスの若者でも素質と努力さえあれば美徳を身につけ上の階級に入れる」という上昇志向の肯定及び美徳の礼賛であって、階級をとっぱらうとかそういう発想はどうも無いように見えるからである。ハリーがエグジーにスーツを作ってあげるところはそれが如実にあらわれており、ある程度の同化を経ないとエグジーは一人前になれない。ただ、この手のピグマリオンものはアメリカを舞台にした映画の場合、ネオリベラリズムっぽく容姿と能力だけが階梯上昇の決め手になることが多いと思うのだが、この映画では紳士らしい振る舞い、礼節が上昇の決め手になっており、むしろ階級制度の中で良しとされる美徳を強化していて非アメリカ的な方向に行っているように見える。

 とはいえこの映画、マナーがキーワードとして出てきているわりにはマナーがない映画である。全体的に、悪趣味なところを極めて洗練されたスタイルで正しく狙って正しく撃ち落とすヒドさがあり(エグジーの射撃と同じですごく正確)、さらにそこで表現されている過剰な暴力がものすごく絵空事っぽく描かれていて、あまり腹に来るというような暴力描写ではない。とくにこの洗練された悪趣味を正確に狙う方針が発揮されているのが教会の虐殺場面である。サミュエル・L・ジャクソン演じる悪役のヴァレンタインとそのアシスタントのガゼル(ソフィア・ブテラ)が、どう見てもウェストボロ・バプティスト教会だろっていうアメリカの田舎の教会をターゲットにテロを実施し、いろいろあって教会内で信者たちとハリーが殺し合いを始めるのだが、ここでかかる曲がなんとレーナード・スキナードの'Free Bird'なのである。実は私はレーナード・スキナードが大好きなのだが、ここはもうあまりにもヒドすぎて失笑するほかない。というのも、この曲は

(1)この曲を歌っているレーナード・スキナードは'Sweet Home Alabama'など物議を醸す曲で有名で、ヴィジュアルに南部連合旗とかを使用しており、つまりイギリス人が考える「人種差別的なアメリカの田舎のアホがいかにも聞いてそうなバンド」である。ここでこのバンドの曲を使用するのはどう聞いても「こいつら田舎のアメリカ人だから!アホだし!」という悪意の表れ。
(2)長いパワフルなギターパートがあるので、長尺の接近戦場面でもダレない。
(3)この歌は亡くなったデュアン・オールマン(ちなみにオールマンの親父さんはエグジー同様、軍人で殺されてる)のために歌われることがあり、また歌詞もいなくなってしまうこと、変化すること(というか、常に動いているものを変えられないということ)をテーマにしているので、後でハリーが死ぬ伏線になる。

 という3点を実現する効果がある。1曲でこれだけの効果を実現するとはとにかく正確な狙いに満ちた選曲としか言いようがないのだが、それにしても(1)の悪意がすごすぎて唖然としてしまう。全体的にこの映画、普通のアクション映画と逆で「善玉がイギリス人、悪玉がアメリカ人」というあたりからして「アメリカからおいしいところはいただきますけど本当は好きじゃ無いよ」というメッセージがこめられている気がするのだが、この場面くらい悪意に充ち満ちたアメリカ嫌いの表明はなかなかないんじゃないか…

 と、いう感じで、とにかくやりたいことをきちんとやっている映画なのだが、とはいえピンポイントで撃つところは正確だけど全体として見るとわりと点と点の間がスカスカしており、いい加減という印象を受けた(そのあたりはこちらのルシフさんのレビューに近い意見だ)。なんか私が前に見ていた批評とかではヴァレンタインがステレオタイプなゲイっぽい悪役だというのがホモフォビアとして批判されていたのだが、実際に見てみるとそういう悪役にしたいのか、それとも環境保護にハマっているアメリカのエリートをからかいたいのか、あるいはカニエ・ウェストとかをからかいたいのかどうもはっきりしない感じで、せっかくサミュエル・L・ジャクソンを使ってるんだからもうちょっとコンセプト詰めるべきだったんじゃないのかと思う。またまたワーキングクラス出身のマイケル・ケイン階級差別的なアーサー役にしてるのはひねったキャスティングでいいのに、これまたアーサーの正体とかがイマイチ詰められていない。スタイルはふんだんにあるけど、中身はそんなに詰まってないんじゃないかなーと思う。

 なお、キングスマンの組織は「王」に仕えることが名前に入っているのにどうも国から独立で動いているらしく、そのあたりはヴィクトリア女王が設立したのに今は国から独立している『秘密情報部トーチウッド』のトーチウッド・インスティテュートに近いと思う。演出のセンスもちょっと似ているので、ターゲット客層がかぶっているのでは…敵が異星人か、アメリカ人かくらいの違いなんだろう。

 また、この作品はちょっと微妙だがたぶんベクデル・テストはパスする。エグジーのお母さんがロキシーと電話する場面があるからである。