どうして夏夢の森はモノクロになってしまうんだろう〜野田秀樹版『真夏の夜の夢』

 SPACがフェスティバルトーキョーで上演している野田秀樹版『真夏の夜の夢』をにしすがも創造舎で見てきた。私はこの翻案を数年前に楽塾の上演で見たことがあるので、二回目ということになる。

 話の基本的な筋はシェイクスピアからとっているのだが、主役の恋人たちを板前のデミとライ、その恋人のそぼろ(ヘレナ)とときたまご(ハーミア)というふうに変更し、パックだけではなくメフィストが登場する。台本じたいは日本語の言葉遊びが多く(英語字幕はかなり苦戦してた)、最後は辻褄をあわせるよりエネルギーで押し切るみたいな感じになっていて、またそぼろの言葉を飲み込むクセがやたらにクローズアップされるところはなんだが喪女に過剰な責任を負わせているみたいでちょっと私の好みでは無いのだが、まあ面白く上演しようと思えばいくらでも工夫できる台本ではあると思う。

 舞台には何本もポールが立てられており、ここには横棒がついていて、ここに足をひっかけてポールをのぼったり、空中で止まったりできるようになっている。色調は基本的にモノクロで、木の精がたくさん出てくるので全体的に非常にごちゃごちゃしていていろんなものが生えている森を想像させるセットになっている。舞台の一番奥に楽団がおり、民族楽器風の音楽を演奏する。こういうカオスなセットは私は結構好みだ。

 全体的に役者の動きは素晴らしく、とくにポールダンスみたいな動きで静止したりする演出はけっこう役者の筋力が必要とされる感じだったが、うまくこなしていたと思う。そのわりに台詞の細やかさはどうかなーと思うところもあり、もうちょっと全体的に大きな声で発声を明瞭にして、言葉遊びで笑いやすいようにしたほうがいいんじゃないかと思う。とくに恋人たちの一本調子な台詞の付け方は意図的だろうが私はまったく好きでは無い。あと、途中のパックがやる客いじりは必要なんだろうか?

 あと、これはこの演出に限ったことではないのだが、私は夏夢で妖精たちが出てくる森をモノクロの色調で演出するのはどうかと思う。けっこうそういう演出を見かけるのだが、私は色のついた夢しか見たことが無いので、ああいう夢のような展開がモノクロというのは想像しがたい。もっとサイケデリックにいろいろな色を使ったほうが効果的なのではないだろうか。