何をしたかったんだかよくわからない〜『オフェリアと影の一座』

 『オフェリアと影の一座』を見た。ミヒャエル・エンデ原作で、小野寺修二演出の舞台である。芝居一家に生まれたが声が小さくて役者にはなれず、プロンプターになったオフェリアが、ひとりぼっちの影たちをかくまうようになり、やがて影が劇団を結成する…というお話である。

 自在に変わる白石加代子のオフェリアとか、ミニチュアの家なんかをスクリーンに映してセットのかわりにしたり、布とか照明をうまく使って雰囲気を出す演出、音楽や踊りの組み込みなんかは良かったのだが、正直何をしたかったのかサッパリわからなかった。劇中劇の『トゥーランドット』と『オンディーヌ』のダイジェスト版みたいなのがけっこう長くて、それぞれはそこそこちゃんと作ってるのだが、いったいなんでこの2本がここに入っているのか、全体の中での位置づけがまったくわからない。ただ役者の技量を見せるだけのために挿入されてて、劇中劇として機能してないと思う。これならいろんな芝居を短く抽象的に続けて見せるとかいうことをやったほうが全然、コンセプトがはっきりすると思った。全体的に見た目はきれいにまとめてるのだが散漫な印象の舞台だったと思う。