20世紀、イギリスの男性使用人の多様な人生〜ロジーナ・ハリソン『わたしはこうして執事になった』

 ロジーナ・ハリソン『わたしはこうして執事になった』新井潤美監修、新井雅代訳(白水社、2016)を読んだ。献本で頂いたものである。

わたしはこうして執事になった
ジーナ・ハリソン
白水社
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 同じ著者の前作『おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想』が2014年に出ていてこれが凄く面白かったので(これもブログでレビューした。こちら→マークス&スペンサーを着た悪魔と、メイドの攻防〜ロジーナ・ハリソン『おだまり、ローズ−子爵夫人付きメイドの回想』)、新作も読んでみた。新作とはいえ1976年に出た作品で、訳されたのが最近というだけである。

 『おだまり、ローズ』は自分とナンシー・アスター(英国議会初の登院した女性下院議員)の主従関係に関する自伝だったが、こちらはハリソンが親しくしていたイギリスの男性使用人5名からの聞き書きをまとめたルポである。編集してまとめたのはハリソンらしいが、なるべく語り手の話しぶりを生かすようなスタイルにしてあるらしい。前作はアスターとハリソンというキャラの濃い2人がやりあう様子が強烈だったが、それに比べると『わたしはこうして執事になった』はおとなしめというか、他の人の人生についてのルポなので淡々としているところがあるが、それでも歴史的に興味深いところや、ちょっとした小ネタで笑えるところなどがたくさんある。
 

 前作と異なるこの本のポイントとしては、男性使用人どういうルートで出世していくのかとか、またどういうきっかけで職場を変えるのかとか、そういったことが具体的にわかることである。この本に出てくるのは5例だけなので一般的にどうということは言えないのかもしれないが、ロジーナ自身はナンシー・アスターのもとで35年も仕えていたという特異なキャリアの持ち主で出世とか異動とかがあまりなかった人なので、自伝にはそうしたことがわかる内容はあまりなかった。『わたしはこうして執事になった』にはいろいろなキャリアパスが登場し、最初からかなり大きなお屋敷につとめていて下っ端からだんだん屋敷を変えて出世していった人、ミドルクラスの家に雇われたり商店や工場などで働いた後にお屋敷の使用人になった人、一度軍隊に入って従卒を経てからお屋敷に戻った人(これは女性の家事使用人には無いキャリアパスだ)など、かなり多様で興味深い。

 一方で時代により家事使用人観が変わっていく様子も5人の話から浮かび上がってくる。20世紀初め頃までは工場や農場で働くよりも使用人は良いところもある仕事だったようだが、世代が下るとだんだん時代遅れな職業と見なされるようになっていったのが5人の証言からよくわかる。1886年生まれでやがて伝説的な執事になったエドウィン・リーは「農場労働者でいるかぎりは望めない昇進の機会」(p. 144)を求めてお屋敷奉公を始めている。また第一次世界大戦直後の状況について、ゴードン・グリメット(この人は執事にならずに結婚して退職している)がお仕着せでハイドパークを歩いていると華やかで女の子の目を惹くため嬉しかったと言っており、職種や給料によってはけっこうモテたようだ(p. 59)。一方、1915年生まれのジョージ・ワシントンは「心のどこかで、召使いなどするのは男の沽券にかかわると思っていた」(p. 298)らしい。とはいえジョージは一度使用人をやめて工場に入った後、美しいものにたくさん触れられるお屋敷の暮らしが懐かしくなって家事使用人に戻ったそうで、お屋敷勤めには教養へのアクセスがあるという利点もあったようだ。さらに1930年生まれのピーター・ホワイトリーになると「由緒あるカントリー・ハウスの時代はもはや過去のものになったとしか思えない」(p. 356)状況になっている。

 他にも面白いところはいろいろある。使用人の中にも有名人がおり、自分の顔が売れてだんだん有名になっていくのは使用人にとって嬉しいことだったようだ。エドウィン・リーは伝説的な執事だったそうで、社交界でも使用人の間でも知られていたそうだ。またまたお屋敷ごとにライフスタイルに違いがあったそうで、パーティ三昧の遊び好きなお屋敷、多忙な政治家のお屋敷(ナンシー・アスターの屋敷はこれに入る)、静かなご老人のお屋敷などではずいぶん生活リズムが異なり、使用人も行った先のタイムスケジュールに慣れるまでは大変だったようだ。