人生の嘘、映画の美学〜『婚約者の友人』(ネタバレあり)

 フランソワ・オゾン監督『婚約者の友人』を見てきた。未見だが、エルンスト・ルビッチの映画(ネタバレになるのでタイトルは言わない)のリメイクである。なんか最近フランソワ・オゾンは若い時の毒々しい独創的な冴えが失われて普通の監督みたいな感じになっており、不安に思っていたのだが、この作品は昔の冴えに深みが加わった感じで久しぶりにとても良かった。

 舞台は第一次世界大戦直後のドイツ、クヴェードリンブルク。戦死した若者フランツを悼み、両親であるホフマイスター夫妻とフランツの婚約者で未婚とはいえ夫妻の義理の娘のように家族で支え合って暮らしているアンナ(パウラ・ベーア)は静かな暮らしをしていた。ある日、アンナはフランツの墓にフランス人の若者アドリアン(ピエール・ニネ)が詣でているのを見つけるが…

 アドリアンの正体はけっこう最初のほうで読めてしまうので、スリラーではない。この映画が面白いのはそれ以降の展開で、生々しい戦争の傷跡とそれが人々に与えた破壊的な影響を抑えた形で示しつつ、人生における嘘や許し、希望などの意味を考えさせられる展開になっていく。ヒロインのアンナはとてもしっかりした女性で(ベクデル・テストはたぶんファニーとの衣類に関する短い会話でパスする)、恋人の死に向き合い、周囲の人々を助けていく中で大人として成長していくのだが、終わり方は非常にほろ苦いものになっている。ただ、人生における嘘の重要性を指摘しているところは、嘘によって人生の苦痛に向き合う夢を与える映画の役割に関するある種の美学を表明しているのかもと思う。