女に幻想持ちすぎじゃない?『彼は秘密の女ともだち』(ネタバレあり)

 フランソワ・オゾン監督の最新作『彼は秘密の女ともだち』を見てきた。

 主人公は親友ローラを失ったクレール(アナイス・ドゥムースティエ)。ショックを受けているクレールは夫ジルにすすめられたこともあり、亡きローラの夫ダヴィッド(ロマン・デュリス)と娘のリュシーを訪ねるが、そこでダヴィッドがローラの服を着て女装しているのを発見する。ダヴィッドの話によると、ローラと結婚する前から女性の服を着たい気持ちがあり、ローラと結婚している間はその気持ちが抑えられていたが死後にまたその気持ちが強くなったのだという。クレールはこの秘密を黙っていることを誓い、ダヴィッドのペースにまきこまれて彼の女性としての暮らしを助けることになるが…

 この作品、ロマン・デュリスの女装は可愛いし(趣味の問題なので可愛いと思わない人のほうが多いかもしれないが)、デュリスもクレール役のドゥムースティエも演技はとても良かったと思うのだが、私はあまり面白いと思えなかった。オゾンの前作『17歳』が最低の映画だったことを私が引きずってしまっているからかもしれないが、どうも女について幻想を持ちすぎだと思うのである。例えばダヴィッド(女性名はヴィルジニアで、これはクレールがつけた名前)がクレールに「男には許されないことを全部やりたい」と言うところがあるのだが、そりゃまあダヴィッドは男性としていろいろ社会からの期待にストレスを感じているのかもしれないけど、女になると男に許されていたことの大部分はできなくなるのに気楽なもんだと思ってしまったし、またそういう「女のつらさ」についてクレールが何かの反応で示すべきなのではと思った。このエントリとかにも出てきているが、例えばあそこでクレールが「女もつらいのだ」ということを何か一言言っていればもうちょっといい会話になったのにと思う。また、一番ひどいのは映画館で痴漢が出る場面のクレールとヴィルジニアの反応だと思った。初めて女性の格好で映画館に行ったヴィルジニアが痴漢にあうのだが、その後クレールと話していてヴィルジニアが「女と思われて嬉しかった」と言うのである。このヴィルジニアの反応はちょっと私はドン引きだったし、これに対するクレールの反応も不自然だと思った。

 また、女性とトランスジェンダー女性の恋愛という点ではグザヴィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』とどうしても比較してしまうのだが、ドランのほうが若い監督なのに撮り方がかなりシビアで男にも女にも幻想が無い感じで、話自体も斬新だったと思う。それと比べるとどうもこの映画は見劣りするなぁと思った。

補足:あと、この映画がベクデル・テストをパスするのかどうかはやや微妙だと思う。ヴィルジニアとクレールの会話でパスはするかもしれないのだが、どの点からクレールがヴィルジニアを「女ともだち」として扱っているのかがちょっと難しい。最初のところで子どものクレールとローラがずっと一緒に過ごす場面があるのだが、場面がどれも短くて片方が話しかけるだけで終わったり、歌を一緒に歌っていて会話でなかったりする。