学者つらい映画にして女性映画〜『アリスのままで』

 『アリスのままで』を見てきた。コロンビア大学で教えている言語学の研究者、アリス・ハウランド(ジュリアン・ムーア)が難病である若年性アルツハイマーにかかり、記憶をどんどん失っていく様子を描いた作品である。

 

 結論から言うとこの作品はものすごい学者つらい映画であり、またたいへん丁寧に作られた女性映画である。世の中には学者つらい映画というジャンルがあると個人的に思っており、『アベンジャーズ』(ブルース・バナーとトニー・スタークの待遇の違いを見よ)とか『リトル・ミス・サンシャイン』(スティーヴ・カレル演じるフランクが自殺未遂したプルースト学者)などがこれに該当するのだが、『アリスのままで』はこれらをはるかにしのぐ学者つらい映画である。アリスはたいへん優秀な研究者なのだが、病気になることで自分の拠り所であった知性がガラガラと崩れていく。病気に気付いてショックを受けた後、毎日毎日、少しずつ認知機能が失われていく様子を微妙な表情の変化で見せるジュリアン・ムーアの演技は凄いものだ。まだ病気が進行していなかった時のアリスが、将来記憶がなくなったアリスに自殺方法を教えるビデオを撮っておくあたりは実にキツいものがあり、またビデオに映っているアリスとかなり認知機能が失われた状態でそれを見ているアリスの表情ががらりと変わっているあたりはムーアの演技力に驚嘆してしまう。全体的に同業者としてはホント見ていて「自分にこれが起こったら」とかついつい考えてしまい、なかなか冷静に分析できないところがあった。

 さらにこの映画はすごくちゃんとした女性映画でもある。『母の眠り』みたいな病気を主題にした丁寧な女性映画はアメリカでは最近それほど作られていないように思っていたのだが、『アリスのままで』は女性を主人公にし、その女性と他の女性との関わりを丁寧に追った作品である。アリスと娘のリディア(クリステン・スチュワート)がスカイプで話すところでベクデル・テストはクリアするし、アリスと3人の子どもたちのそれぞれとの関係の違いなんかも繊細に書き分けられている(欲を言えばアリスの女友達とかが出てくるともっと良かったと思うのだが)。とくにロサンゼルスで演劇をやっている下の娘リディアは離れていてもアリスと親しい娘として重要な役柄なのだが、このリディアは作中で女優としてチェーホフの『三人姉妹』にイリーナ役で出演したりしているんだけれども、役にあまり似合わなくてそんなに上手とは言えない感じで、映画の前半でアリスがリディアの将来をひどく心配しているのもちょっとわかる。結局リディアは病気が悪化した母の面倒を見るためニューヨークに帰ってきて、入れ替わりにアリスの夫である医師のジョン(アレック・ボールドウィン)は仕事で別の病院に引っ越して行くのだが、このあたりのリディアの挫折とジョンの人生の選択の描き方もけっこうシビアである。きれいごとではすまされない家族と人生の物語を冷たさと優しさ両方をこめて描いていて、胸に迫るものがある。