牧歌世界への旅立ち~『トイ・ストーリー4』(ネタバレあり)

 機内で『トイ・ストーリー4』を見た。あの、ティーザーが『ヘレディタリー』みたいでやばかったやつである。

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 第三作でアンディの家を出てボニーの家で暮らすことになったウッディやバズたちが、ボニーの旅先で出会ういろいろな試練を描いたものである。ボニーは幼稚園でフォークを使った自作のおもちゃフォーキーを作るのだが、このフォーキーは自分をゴミだと信じていておもちゃとしてのアイデンティティがなく、目を離すとゴミ箱に飛び込みたがるのでウッディが常に監視していなければならない。さらにウッディは旅先で、かつてアンディの妹モリーが人に譲ったおもちゃで、昔のガールフレンドだったボー・ピープに出会う。

 

 おもちゃの生き甲斐というのは子供の遊んでもらうことだというのが第三作までの重要なモチーフだったのだが、第四作では持ち主のないおもちゃとして自由に暮らしているボー・ピープが活躍し、さらに最後、あれだ子供に遊んでもらうことにこだわっていたウッディが親友のバズと別れてボー・ピープと持ち主のないおもちゃとして生きることを選ぶという展開になる。一方、子供に遊んでもらったことがないせいで持ち主探しに固執し、アンティークショップで陰謀をめぐらせているギャビーは、最初は他のおもちゃと対立しているものの、最後はウッディたちに助けてもらって持ち主を得るなど、それぞれのおもちゃにとって良い人生の選択肢が違うということが示されている。子供向けの作品だが、非常にオトナな展開である。なお、ボニーがお母さんと話すところでベクデル・テストはパスする。

 

 ちょっと面白いなと思ったのが、すっかりたくましくなったボー・ピープは羊飼い、ウッディは牛の面倒をみるカウボーイ(牧童)だということだ。純朴な羊飼いの男女がアルカディアのようなのどかな環境で恋をし、自由に暮らすというのは古代地中海世界から西洋の文芸に存在する理想郷幻想で、ウェルギリウスの『牧歌』やエドマンド・スペンサーの『羊飼いの暦』、シェイクスピアの『お気に召すまま』等々、いろいろな文学作品に出てくるテーマだ。牧童であるウッディは俗世のおもちゃであることをやめて羊飼いのボー・ピープと一緒になることにより、本来属していたはずの牧歌の世界に旅立つわけである。もちろんボー・ピープが住んでいる世界はアルカディアほど理想的ではない荒っぽい世界なのだが、ある意味でふつうのおもちゃの手には入らない野生的な空間として理想化されている。こういうふうに古典回帰するのかーと思いながら見ていた。