保守的な夫婦の喜劇~『クラッシュ 4K無修正版』(ネタバレ)

 デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ 4K無修正版』を見た。『クラッシュ』を見るのはこれが初めてである。もともとは1996年の映画である。

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 基本的には、倦怠期に陥っているジェームズ(ジェームズ・スペイダー)とキャサリンデボラ・カーラ・アンガー)が交通事故にハマるという話である。ジェームズがヘレン(ホリー・ハンター)の車と衝突し、ヘレンの夫が亡くなるのだが、ジェームズはヘレンの導きで交通事故に性的興奮を覚えるヴォーン(イライアス・コティーズ)と出会い、どんどん交通事故にハマっていく。キャサリンもだんだんヴォーンと夫のペースにのせられていく。

 たぶん公開当時は交通事故に性的興奮を覚えるとかいうのはとてもショッキングだったのだろうと思うのだが、正直、今この題材が衝撃的かっていうとそうとも思えない。子供の時には既に『ジャッカス』がやってたし、もうエクストリームスポーツがとっくに市民権を得て、SNSに投稿するためだけに危険なことをやる人がうようよいる時代である。さらに2009年にはデビッド・キャラダインが窒息オナニーでお亡くなりになっているので、危険な性行為をする人がけっこういるということは少なくとも映画ファンの間ではよく知られていて、それほど驚くようなことではないはずである。バンジージャンプとかを面白がってやる人がいるんだから(私もやったことあるけどけっこう面白かった)、交通事故に性的興奮を感じる人がいると言われてもあんまりびっくりはしないというか、まあそういう人もいるでしょうねと思う。

 そういうわけでとくに交通事故に性的興奮を感じる人がいるというのは驚くようなことでもなんでもないと思って見ていたのだが、そう思って見ると、これはセックスコメディみたいな話である。基本的に倦怠期のジェームズとキャサリンが交通事故にハマることで生き生きセックスできるようになるという話なので、これはスタンリー・キャヴェル言うところの「再婚喜劇」(一度は別れた相手と再び結ばれるというロマコメの定型)だ。ふつう再婚喜劇というのはヒロイン中心であるところ、この映画はジェームズが中心でキャサリンはわりと流されているだけという違いはあるが、ジェームズもキャサリンもえらくリッチであんまり働いている気配がなく(ジェームズは一応仕事をしているが、サボって愛人といちゃついたり、途中でヴォーンに呼び出されて出かけたり、いい気なもんだ)、倦怠期で双方愛人を作りまくっているくせに離婚する気配はなくて、設定はほぼ有閑階級のコメディである(序盤はけっこうラクロの『危険な関係』に似ている)。交通事故フェチなんていうのは実に金のかかるフェチで、毎回車がぶっ壊れるし、ちゃんとした保険に加入していないといけないし、健康でないと体も持たないのだが、この2人はセックスにすごいリソースを注いでおり、まあヒマでいいご身分の人たちだ。ご丁寧にジェームズは終盤、キャサリンの車がぶつけられたのがわかるところでわざわざ「君の求婚者(suitors)」のせいじゃないかと言っており、こういう細かい台詞のワードチョイスとかも全体を結婚セックスコメディっぽくしている。

 ヴォーンやガブリエル(ロザンナ・アークエット)はもうちょっとワーキングクラスっぽい暮らしをしているように見えるのだが、交通事故ショーとかの予算はいったいどこから調達しているのか、そのへんは謎である。ひょっとすると交通事故ショーはけっこう儲かるのかもしれず、そのへんフェチからどうやってお金を稼いでいるのか大変興味深いところだが、この映画はそのへんはとくに関心を示していない。ヴォーンが最初に、自分たちは「人体の再生」とかを目指しているというウソをつくところはあまりにもわざとらしくて真面目に撮っているとは思えず、たぶん笑うところだと思う。

 しかしながら、交通事故というものすごくコストがかかるフェチにハマり、人まで死んでいるにもかかわらず、結局この夫婦は交通事故のおかげで楽しくセックスできるようになりました、というハッピーエンドが訪れる。途中でジェームズもキャサリンも異性のみならず同性と浮気するなどモノガミーにとらわれない行動をとるのだが、モノガミーへの脅威であったヴォーンが亡くなったせいで、この二人は存分に交通事故を使って夫婦セックスできるようになった。中盤は一見、過激に見えるものの、この落とし方はずいぶんと保守的だし、あんだけやっといて結局は夫婦の楽しいセックスか!と笑ってしまう。 

Pursuits of Happiness: The Hollywood Comedy of Remarriage (Harvard Film Studies)