終わってないもん!~彩の国さいたま芸術劇場『終わりよければすべてよし』

 彩の国さいたま芸術劇場吉田鋼太郎演出『終わりよければすべてよし』を見てきた。彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピアシリーズ第37弾である。

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 ステージ上に赤い花が咲き乱れるセットで、こういうのはけっこう前の芸術監督だった蜷川好みだと思った(『トロイラスとクレシダ』では黄色いひまわりがたくさん咲いているセットだったし、他の上演でも花が咲くセットは蜷川が好きだったはずだ)。その中に通路があり、前方には少し広いスペースがあって動けるようになっている。場面転換の際には上からパネルなどが降りてきて少し雰囲気を変えることで、ルシヨン伯爵家のお屋敷とかフィレンツェの町などを表現している。このパネルは効いているところと効いていないところがあり、ルシヨン伯爵家の窓とは良いと思うのだが、フィレンツェで売春宿の飾り窓みたいな女性のシルエットが描かれたパネルが降りてくるのは蛇足だと思った。背景がごちゃごちゃするだけであんまり雰囲気作りに役立っていない。

 『終わりよければすべてよし』はシェイクスピアの中でも不人気作で、たぶん私はこれを含めて3回しか見たことないと思う(ちょっと前に板橋で上演されたのだが、2回しか公演がなくてどちらの日も私は別の用事があったので行けなかった)。この演出はあまり奇をてらったことをせず、ヘレン(石原さとみ)が真面目で一途な若い女性、バートラム(藤原竜也)が大変困った若者というふうに演出している。パローレス(横田栄司)が笑いを全部持っていって最後はちょっと人間味のある感じで終わるところや、デュメイン兄弟(河内大和と溝端淳平)が基本的には善人だがたまに兄弟漫才みたいになるところがなかなか良かった。

 すっきりしない結末のお話なのだが、見ていてルシヨン伯爵夫人がヘレンを娘扱いしすぎているのが、バートラムがあんなにヘレンを拒絶するという事態の一端なのでは…という気がした。このプロダクションのルシヨン伯爵夫人は大変ヘレンに優しく、かなり母親らしく振る舞おうとしている。途中で伯爵夫人が「あなたは私のおなかに宿った者たちの名簿に載せてあります」(松岡訳p. 38)とだいぶ真面目な雰囲気でヘレンに言うのだが、「名簿」というからにはおそらく伯爵夫人にはバートラム以外にも産んだ子(おそらく女の子)がいて、死産したか幼いうちに死んでしまったのだろうと思う。そしてどうも伯爵夫人は娘がいないせいでヘレンにすごく目をかけているフシがある。正式にヘレンの母親代わりになったのはヘレンの父ナルボンヌ医師が亡くなった半年前だということなのだが、このプロダクションではお屋敷にかなりちゃんとしたヘレン(と父親)のラボがあって、おそらくヘレンは幼い頃から伯爵夫人の娘同然に育てられたと思われる。そうなるとバートラムにとってはヘレンは妹みたいなものであり、さらに伯爵夫人のヘレンに対するかわいがり方を見ていると母親の関心と愛情を争うライバルでもあったと思われるので、たぶんいきなりヘレンと結婚しろと言われたらきょうだい婚みたいできもちわるいのではないかと思う(この間見たBeing Mr Wickhamでは『高慢と偏見』でダーシーのお父さんがわりと子どものウィッカムに目をかけてて、幼い頃から2人がライバルだったみたいな描写があったが、血縁がなくとも親のような存在の人の気をひきたくてライバル関係になることはある)。バートラムは身分のことばかり言っているが、あの拒絶ぶりは他にも何か性的な嫌悪感があると考えたほうがいいだろう。バートラムはかなり困った人ではあるが、ヘレンと結婚したくないというのはいろいろ理解もできる理由がありそうだ。

 あと、このプロダクションでは最後、妊娠中のヘレンにバートラムがひざまずいて許しを請い、ふたりが親になることが暗示されて終わっている。これはまあバートラムが自分も父親になるんだと自覚したということではないかと思うし、石原ヘレンは妊娠について嘘はついていないと思うのだが、見ていて「この芝居、ヘレンの妊娠は嘘だという演出も可能だよな」と思った。全体的に『終わりよければすべてよし』はけっこう『ゴーン・ガール』に近い話だと思う。自分を心から愛してくれない男に対してここまで全力で訴えて家庭生活を守ろうとする女性というのはそんなにいるわけじゃないし、あまり賢いとも思えないし、正直ちょっと怖い。石原ヘレンはエイミーみたいなヤバい感じではないのだが、そうは言っても一途さが怖いところもある。

 あと、この作品で彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピアシリーズは完結ということになっているのだが、冗談じゃない、上演中止になった『ジョン王』がまだ残っているではないか。終わってないよ!『ジョン王』上演を!!