癒やしとしての怪談~劇団昴『堰』

 アイルランドの劇作家コナー・マクファーソンの『堰』を見てきた。劇団昴の公演で、小宮山智津子訳、小笠原響演出のものである。5月にオンライン配信で見て、是非ライヴで見たいと思っていたので、とても良い機会だった。

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 日本の小さい劇場での公演にしてはなかなかアイルランドのパブのセットがしっかりしている。舞台の右奥にかなり小さいパブのカウンター、左前方に暖炉があるのだが、カウンターの隣にレプラコーンか何かの人形が飾ってあるあたり、観光シーズンにはやたらとドイツあたりからトレッキングしに来る観光客が来るというパブにふさわしい、ベタなアイルランドアピールのインテリアである。樽のテーブルとか、劇中でも言及される古い写真とか、細かいインテリアもけっこう気を遣っている。

 内容としては、前回見た時同様、癒やしとしての怪談という要素を強く感じた。わりと男性陣が若めなのもあって、序盤はダブリンから来た若いヴァレリー(あんどうさくら)をめぐってみんなが色気を出し、マウントとりあいをしている雰囲気がよくわかるのだが、そんな雰囲気の男たちが話す「面白い」怪談にヴァレリーが偶然にも癒やしを見出してしまい、自分の身に起こった喪失の物語を語ることで少しだけ気を紛らわせる(とは言ってもあまりにも深刻な経験なのでそんなに回復はしないのだが)というのはとても哀切である。男たちの話す怪談は完全に娯楽というか夜長のひまつぶしみたいなものなのだが、その娯楽がヴァレリーにはもっと大事なものとして届いてしまうというあたり、ある種の誤配とか解釈の自由、さらには物語の力をめぐる物語でもある。

 もうひとつのポイントとしては、オンラインで見た時よりもジャック(永井誠)の話のうまさがよくわかった。これはおそらく前に見た別撮りのオンライン公演に比べると、ジャックに対する他の登場人物の反応が即時によくわかるからだと思う。最初の怪談について、他の登場人物たちがこの手の話はジャックに話してもらったほうがいいというやりとりをするのだが、みんなの言うとおりジャックはいろいろじらしたり引っ張ったりして上手に盛り上げながら最初の妖精譚を話すし、また最後に自分の人生に関する話でヴァレリーを楽しませようとするのもジャックで、ここでも話のチョイスがかなりうまい。