ポーギーが必要だった~『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(試写、ネタバレ注意)

試写 『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を試写で見た。ケイシー・レモンズ監督、アンソニー・マッカーテン(『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家)脚本で、言わずと知れたホイットニー・ヒューストンの伝記映画である。

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 基本的にはホイットニー(ナオミ・アッキー)の若い頃から成功、死までを描いているのだが、何しろホイットニーは依存症でかなりショッキングな亡くなり方(ドラッグを摂取して浴槽で死亡)しているので、あまりにも悲惨な話にならないよう、構成が工夫されている。ホイットニーのキャリアの中でも非常に有名な1994年のアメリカン・ミュージック・アウォードにおける"I Loves You, Porgy" / "And I Am Telling You I'm Not Going" / "I Have Nothing"のメドレーに関する導入を最初と中盤に配し、最後にこのパフォーマンスを見せて終わるという形であまりにも悲しい話にならないようにしている。歌は『ボヘミアン・ラプソディ』同様、ほぼホイットニーの歌を使用している。

 『ボヘミアン・ラプソディ』に比べると、ホイットニーの抱えていたトラブルがもうちょっと正直に描かれている。ホイットニーはバイセクシュアルで、最初のガールフレンドであるロビン(ナフェッサ・ウィリアムズ)とは宗教的なことなどで一緒になれず、ボビー・ブラウン(アシュトン・サンダース)と結婚するものの、むら気で女好きのボビーと激しい性格のホイットニーは結局うまくいかずに別れることになる。しかしながらここで出てくるロビンもボビーも怒るとものを投げたり毒づいたりするような性格の人物として描かれており、全体的にこの映画におけるホイットニーは、傍目からするとけっこうヤバい性格の人にどうしても惚れてしまう、恋愛運の悪い人に見える。ただ、怒ると家具を壊したりするロビンに比べるとボビーの毒づき方がそこまで荒っぽくなく、正直なところボビー・ブラウンとホイットニーのケンカはこんなもんじゃなかったのでは…と思ってしまった(ボビーはご存命なのでそのせいでちょっとケンカの描き方が柔らかくなっているのかもしれないが、実際は家庭内暴力で逮捕されている)。このへん、女性同士の恋愛関係の描写はけっこう暴力的なのに、実際に逮捕歴のあるボビーの荒っぽさの描き方は甘くなっており、ちょっと問題があると思う。

 音楽映画には珍しく、この映画ではプロデューサーが善玉…というか、一番ホイットニーを理解して敬意を払ってくれる友人として描かれている。音楽映画に出てくるレーベル側の人間とかミュージシャンのスタッフというのは悪役か、全然役に立たないか、空気みたいな感じで「そんなん出てたっけ」みたいな感じになってしまうことも多いと思うのだが、本作でホイットニーを見出してクリエイティヴパートナーとなるクライヴ・デイヴィスは大変よい人に描かれている(こちらもご存命だからかもしれないが)。この役柄にスタンリー・トゥッチをあてたのは正解で、キレ者だが思いやりのある感じを非常にうまく表現している。

 作品の構成から感じられることとしては、ホイットニーは本当にポーギーを必要としていたんだな…ということだ。この映画で一番重要なパフォーマンスであるメドレーの最初の曲は、ガーシュインのオペラ『ポーギーとベス』の有名なアリア「あたしはあんたを愛してるの、ポーギー」である。この曲はヒロインである気弱なベスが、身体障害のある恋人ポーギーに対して、暴力的な前の恋人クラウンの影響力から自分を守ってくれと頼む歌である。しかしながらベスは生来、男性の言うことを聞いてしまうように育ったせいで、クラウンや麻薬の売人であるスポーティング・ライフみたいなろくでもない男の言いなりになってしまい、誠実なポーギーの目が届かなくなると苦境に陥ってしまう。この映画のホイットニーも暴力的な恋人やらドラッグやらの問題を抱えており、たぶんポーギーみたいな人に止めてもらう必要があった。本作でのポーギー的な立ち位置はむしろ恋人ではない仕事仲間のクライヴなのだが、結局ホイットニーはベス同様、ドラッグのせいで苦境に陥って、最後は死んでしまう(この点ではベスが死亡しない『ポーギーとベス』のほうがまだちょっと救いがあるかもしれない)。この作品がこのメドレーを中心に構成されていることにはおそらくそのへんの含みがあるのだろうと思う。