腐敗カルテル寡占市場vsイノベーションを起こす若き起業家~『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(ネタバレあり)

 ポール・キング監督『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』を見た。ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』のプリークェルである。一応1971年の映画化作品である『夢のチョコレート工場』とは歌とかデザインに共通性があるので、これとものすごく緩いもののつながっていはいる作品…だと思う(ただし全く別物とは言えるので、前作を見ていなくても何の問題も無い)。

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 若くて才能豊かなチョコレート職人でマジシャンにして発明家のウィリー・ウォンカ(ティモシー・シャラメ)は有名ショコラティエが軒を並べるギャラリー・グルメを有する街にやってくる。チョコレート作りの腕は超一流だが、世間知らずがたたってミセス・スクラビットオリヴィア・コールマン)の店で無理矢理働かされることになってしまう。ウィリーは同じ店で働かされている少女ヌードル(ケイラ・レーン)と仲良くなり、ショコラティエとしてなんとか身を立てるために策を練ろうとするが、ウィリーを邪魔に思った街のベテランショコラティエたちが立ちはだかる。

 イギリス…だと思われるのだがジェネリックヨーロッパみたいな感じもする可愛い街が舞台で、ちょっとサイケデリックでファンタジーっぽいヴィジュアルやデフォルメした展開は子ども向けなのだが、そのへんを全部とっぱらうと、悪徳カルテルが若いイノベーター起業家を全力でつぶそうとする様子を描いたかなり大変なビジネス映画である。何しろ舞台になる街では、チョコレート販売を一手に牛耳る3人の悪徳ショコラティエが結託し、生臭坊主の神父(ローワン・アトキンソン)が率いるカトリック教会や甘党の警察署長(キーガン=マイケル・キー)を高級チョコレートの賄賂ぜめで依存症にし、在庫管理と寡占によってチョコレート価格をつり上げて一般市民に高く売りつけている。ウィリーは理想主義的な起業家で、みんなに美味しいチョコレートを手頃な価格で食べてほしいと思って街にやってくるのだが、世間知らずで文字が読めなかったせいで騙され、奴隷労働を強要されることになる。ウィリーは一緒に奴隷労働をさせられている仲間達と組んでゲリラ販売をやるのだが、そこにもまたカルテルが立ちはだかる。

 ロアルド・ダールのお話というのは『マチルダ』なんかからもわかるようにけっこうダークなユーモアが満載だし、悪いことをする大人がかなりデフォルメされて描かれていることも多いので、雰囲気じたいはダールの子ども向けの小説からそこまではかけ離れていないのだが、それでも途中までウィリーが被るカルテルからの圧力はけっこうえぐい。ウィリーは善意に満ちたクリエイティブな人物なのだが、ちょっと定型発達でないような感じもするので、そういう若者がとことん搾取されるのを見るのはややキツい話ではある。チョコレートがちょっと依存性のある物質みたいに描かれているところもあり、なかなかぶっ飛んだ映画だ。ただ、最後は何があってもあきらめないウィリーのポジティブさのおかげで搾取された労働者たちが感化され、みんなの協力によってカルテルの犯罪が暴かれ、チョコレート市場がもっと民主的になるという終わり方で、心温まる作品にはなっている。

 なお、子ども向け映画についてこういうことを指摘しないほうがいいかもしれないのだが、監督のポール・キングは可愛らしいキャラクターが暴力的に噴出する液体でびしょ濡れになったり窒息しそうになったりするところをしつこく撮るのが大好きだと思う。本作はキャストや作り、雰囲気がかなり監督の前作である『パディントン』シリーズに似ているのだが(パディントンもウォンカも帽子の中に食べるものを入れている)、『パディントン』第1作ではパディントンがお風呂を海みたいな状態にしてしまっていたし、『パディントン2』でも溺死しそうになってあわや…という場面がある。今作でもウィリーとヌードルが液体チョコレートで溺れそうになるところがあり、さらにウィリーが「どうせなら僕の美味しいチョコレートで溺れたい」みたいなことを言い始める。ふつうに危機一髪のサスペンス場面として撮られているので何か強烈なフェティシズムが感じられるとかいうわけではない…と思うのだが、食べ物系のフェティシズムがある人は爆釣なのではと思うような場面だった。