サイードよりはOut Of Placeであることについての映画~『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(試写)

  「暮らしの思想 佐藤真RETROSPECTIVE」の試写で『エドワード・サイード OUT OF PLACE』を見た。サイードの同名の回顧録のテクストをベースに、サイードの足跡を辿るドキュメンタリー映画である。パレスチナでも取材をしており、現在の政情を考えるとタイムリーに再公開されることになった作品だ。

 全体的に、サイードについての映画というよりはOut Of Placeであること、居場所がないこと、狭間のような場所にいることについての映画だと思う。サイード自身はパスチナのキリスト教徒の息子で生まれたのはエルサレムなのだが、若い頃からパレスチナではないエジプトやレバノンアメリカで暮らしていて、お墓があるのはレバノンである。さらに生まれた場所であるパレスチナは抑圧された状態にある。さまざまな場所でよそ者扱いを経験しており、パレスチナ人であると言ってもいろいろな意味で故郷が無い。

 こういう感覚を考えるため、サイードの親族のほか、イスラエルに住むユダヤ系とそうでないパレスチナ人の両方にいろいろな取材をし、移民した人や研究者や芸術家などにも話を聞いている。イスラエルの暴力に批判的なダニエル・バレンボイムに話を聞いて、サイードを音楽家と考えよう…みたいなトピックが出てきたりもする。こうしたいろいろな話を通じて、ユダヤ系のディアスポラもOut of Placeであることであり、パレスチナに住むムスリムやクリスチャンもOut of Placeな状態に置かれていることが浮かび上がってくるというような映画である。