白人ばかりの劇場で見る南アフリカのひとり芝居~『カフカの猿』

 オクスフォードのオールド・ファイア・ステーションで『カフカの猿』を見た。これはカフカの「あるアカデミーへの報告」をファラ・O・ファラが戯曲化した南アフリカの作品で、トニー・ボナニ・ミヤンボによるひとり芝居である。2015年に初演されて以降、ロングランしているそうだ。同じタイトルの芝居が日本で上演されたことがあるのだが、たぶん別の話だと思う。

 後ろに学会バナーがあるだけのシンプルなところでやるひとり芝居で、上演時間も1時間に満たない。主人公はアフリカのゴンベでつかまった猿なのだが、檻から出るため人間に同化した暮らしをするようになり、今では人間になって、このたび学会に呼ばれて講演をすることになった…という設定である。しかしながら主人公は既に自分は人間であるため、現在の視点を通してしか自分の猿としての過去を語れない…みたいなことを認識しており、最初からそれを明確にして話している。

 ミヤンボは黒人男性で、劇場は私以外、たぶん見たところほぼ全員白人だったため、なんかもう劇場にいるだけで居心地が悪くなるような芝居なのだが、たぶんこれはそれが狙いなのと思う。黒人は猿と結びつけられて差別されてきたので、黒人男性が人間になった猿を演じるというのは、キャスティングの時点で奴隷制とか南アフリカアパルトヘイトその他、いろいろなアフリカの植民地政策、差別を思わせるものである。さらに途中でけっこう主人公が猿っぽい動きをするところがあり、この主人公は自由を得るために自分のかつての習慣を抑えつけて暮らしている一方、周りが望む時は猿らしさを見せて期待に応えることもしているんだろう…みたいなことが頭に浮かんでなかなかキツいところがある。

 この主人公は、昼の間は人間にまじって暮らしているものの、夜になると雌のチンパンジーがいる家に帰って、猿としての「喜び」を得るらしいのだが、昼の間はこのチンパンジーに会いたくないらしい。これは移民先で現地に同化した人の経験を鋭く描いている表現だと思う。夫婦で言葉が通じないところに移民し、夫は現地語を学んで同化して外で活躍しているが、妻のほうは現地語がわからず家にこもっている…みたいな現実にも存在する状況につながっている。シュールな寓話だが、現実世界を深刻に諷刺した作品でもある。