ドリアン・グレイに血まみれのひねりを加えたイヤミもたっぷりの説教系フレンチホラー~The Substance(ネタバレあり)

 コラリー・ファルジャ監督The Substanceを見た。

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 元オスカー女優だが、今は役もなく、テレビのエアロビクス番組に出ているエリザベス・スパークルデミ・ムーア)は50歳になったとたん、年をとりすぎだとして番組を解雇されてしまう。捨て鉢になったエリザベスは、ふとしたことから知ったSubstanceなる薬物を試してみる。この薬物を摂取するとより若く美しいバージョンの自分ができるのだが、必ず7日でもとの自分に戻らねばならず、その後は7日ごとに若い自分と今の自分で交代することになる。エリザベスは若く美しいバージョンの自分を作り、スー(マーガレット・クアリー)と名乗ってエアロビクス番組のオーディションを受け、成功するが…

 

 発想じたいは『ドリアン・グレイの肖像』に近くて、若さと美しさへの執着という古典的なテーマを扱っているのだが、とにかく処理のしかたが新しいし独創的だ。現代社会において社会が女性に課している若さと美しさの規範がどれだけ女性の人生をメチャクチャにするかを容赦なく描いており、妥協がない。エリザベスもスーも身体がじっくり撮られるところが多いのだが、エリザベスの中年女性の全裸は理想化されないリアルな感じで撮られている一方、エアロビクスをするスーの身体は笑っちゃうほど大げさに体の線や露出を強調したやり方で撮られており(ただし全然エロティックではない…というか意図的に見ているほうが可笑しくなるように撮っていると思う)、撮影にメリハリをつけることで社会が女性に向ける視線を示している。

 そしてこの映画は、社会が女性に課してくる規範的な若さ、美しさを失うこと恐れを抱き、それに従い続けるとどうなるか…ということを凄まじく気味悪いやり方で視覚的に表現している。エリザベスがスーになるところのショッキングな描写から第三部のとんでもない血まみれまで、どんどん不気味さと残虐さがエスカレートしていくのだが、このビジュアルがなんか今まであまり見たことがないレベルで変わっているし気持ち悪い…というか、たぶんボディホラーを見慣れている人でもそこそこびっくりする程度には斬新だし、流れる血の量も多い。終盤はたぶん『キャリー』の影響がけっこうあるのだが、どっちかというとフレンチホラー…というか、アメリカ映画がやらないタイプの残虐描写をやっていると思う。アメリカ社会のがめつい拝金主義や若さ至上主義を痛烈に皮肉っている一方、最後にトップレスのダンサーがいっぱい出てくるところなんかはアメリカではあり得ないことをわざと誇張してやっている感じがあり、フランスのアーティストが若さと健康ばかりを重視するアメリカ社会に壮大なイヤミをぶつけている映画と言える気がする(そういえば『シビル・ウォー』はイギリス人がアメリカ社会にイヤミをぶつけている映画だった)。ジャンヌ・モローカトリーヌ・ドヌーヴがどういう映画に出てきたかを考えると、アメリカ映画よりもフランス映画のほうがはるかに年配の女優を使うのがうまいので、まあこのイヤミは言われてもしょうがないと思う。

 一方で別に生々しい暴力が描かれるというわけではないのだがメンタルにイヤな感じの描写も極めて多い。とくに食べ物、飲み物に関する描写が群を抜いて気持ち悪く、たぶん私が今まで見た中でも一番、食べるということをネガティブに描いた映画である。私は血まみれは平気なほうなのだが、序盤でハーヴィ(デニス・クエイド)がものすごく汚くエビを食うところとか、ハエが酒で溺れて死ぬカット(これはエリザベスの運命を暗示している)、終盤でエリザベスがフランス料理の本を見ながらまずそうな料理を作りまくるところとかは正直、血まみれの場面よりも不気味な感じがした。これも食事の楽しみ方を知らないアメリカに対するフランス人のイヤミなのでは…と思ってしまった。そして唯一、この映画で楽しい食事場面になる可能性があった、エリザベスとフレッドのデートは土壇場でなくなってしまう(この場面のデミ・ムーアの演技はすごい)。私は食べるのが大好きなので、こんなに食事に喜びがない映画を作っていいのか!?と思うくらい引いてしまうところがあった。

 そういうわけで、見る人を選ぶが斬新でわくわくする映画だし、明らかにフェミニスト・ボディ・ホラーを志向した作品だと思うのだが、一方でわかりやすい視覚的描写に頼っている分、諷刺の厳しさが不足している気はする。エリザベスの身体がモンスターみたいになっていくところはショッキングだし、アメリカ社会が女性の老いをいかにネガティブにとらえているか、女性が美のためにどれくらいの犠牲を払っているのか、そしてそれはどれほど人生をメチャクチャにするダメなことかということをある意味説教臭いくらいわかりやすく示そうとしている。しかしながら、それを伝えるためにこれでもかというほど視覚的描写に頼っているせいで、美と醜を逆のものとして対置する二元論を脱することができなくなってしまっているように見える。美しさの規範を根本的に問い直すならまずこの二元論をぶっ壊して「そもそも醜いって何よ?世の中が勝手に決めたことだろ?」みたいなことをきちんと考えないといけないと思うのだが、この映画はそれをやっておらず、「美しさにこだわりすぎるとこんなに醜くなっちゃいますよ!」という方向性で恐怖を煽る作品なので、そこまで奥深い社会諷刺にはなっていない。醜さを恐怖の根源として描いている点では、この映画はかなり単純なエクスプロイテーション映画ではあると思う(たぶん『ふるえて眠れ』みたいなハグスプロイテーション映画の正統な後継者でもある)。この映画はあまりニュアンスに富んだ描写を目指してはおらず、見た目は不気味で残虐かもしれないが、その実は「美しさと若さを押し付ける社会はクズ!みんなそんなのに騙されちゃダメ!」という、女性に厳しく警告を伝えようとする、けっこう道徳的で教訓的な説教映画ではあると思う。全体としては、すごく話のうまい人が地獄の業火をありありと描写しながら説教をしているというような感じの作品だった。