こんなに登場人物が食ってばかりの映画を久しぶりに見た~『窮鼠はチーズの夢を見る』(ネタバレあり)

 行定勲監督の『窮鼠はチーズの夢を見る』を見てきた。原作は未読である。

www.youtube.com

 主人公の恭一(大倉忠義)は結婚しているが浮気癖のおさまらない女好きで、大変なモテ男である。そこにかつての大学の後輩で今は探偵社につとめている今ヶ瀬(成田凌)があらわれ、恭一の妻である知佳子(咲妃みゆ)から恭一の素行調査を依頼されたと言われる。かねてから恭一に想いを寄せていた今ヶ瀬は恭一を脅迫し、恋心を遂げようとするが…

 

 予告を見た時からポテトチップスの撮り方が気になっていたのだが、とにかくこんなに登場人物が食ってばかりの映画は久しぶりに見たのではないかと思うくらい、ほぼ常に誰かが何かを食っている。登場人物は飯を食っているか、料理をしているか、食べ物の話をしているか、飲んでいるか、たばこを喫っているか、あるいは、まあそのー、別のやつを食っているかである。全部は思い出せないのだが、とりあえず出てきた中で記憶に残っている食べ物をリストアップすると、目玉焼きのついた朝食、エビチリが出てくる中華、コーヒー(これは複数回出てくる)、ビール(複数回出てくる)、恭一がやたらデートで使いたがる行きつけのレストラン(複数回出てくる)、恭一が料理しているにんじん、レイズのポテトチップスサワークリーム&オニオン味、今ヶ瀬の生まれ年のワイン(おつまみの生ハムは言及のみ)、北京ダック(言及のみ)、チーズケーキ(言及のみ)、ペットボトルで冷やした水と今ヶ瀬による食事の支度、お蕎麦、ことこと煮る煮物(言及のみ)、岡村家で出てくる紅茶、ハンバーグ(調理のみ)、プリン(言及のみ)が登場したはずだ。130分の映画なので、少なくとも10分から6分に1回くらいのペースで食い物が言及されていることになり、だいたい1場面おきくらいに何か飲み食いの場面がある。とくに主人公の2人はたばこ(これは明らかに2人の間の性愛関係の変化に結びつけられており、一種のファリックシンボルである)も喫うし、口に何か咥えていないと間がもたないのかと思うような調子である。

 この「口に何か咥えていないと間がもたない」というのは案外重要な気がする…というのは、全体的にどうもかなり長い話を圧縮して映画にしているようで、展開がえらい唐突なところがたくさんある一方(恭一の上司がほぼ出てきた次の瞬間に死ぬ)、ラブシーンは男女のものも男男のものもけっこうちゃんと尺をとって見せようとしており、その間になんかいろいろなことを会話で見せつつ、恋愛模様を生活感をもって表現しなければいけない…ということで、基本的に惹かれあっている人間同士の関係が飯とセックスだけに還元されている。そういうわけで、食欲と性欲をきちんと呼応させていれば良いと思う…のだが、そういうことをやろうとしているわりには飯の描写に妙に不自然なところがある。ポテトチップスとか洋梨みたいなおやつ、コーヒーや酒などの飲み物を使った関係の変化の表現は良いのだが、食事の表現に一貫性がないと思った。

 序盤に出てくる目玉焼きの朝食もなんだかやたら量があって食べ合わせがいいのかよくわからないものが並んでいて微妙だったのだが、恭一と知佳子が食べに行く中華がなんだか撮り方が不自然である。2人しかいない丸テーブルで、とくに白いごはんもないし、ガンガン酒を飲む感じでもないところに小皿にのせた辛そうなエビチリが1人分ずつ運ばれてくるのだが、私が知らない高級店とかでは中華っていうのはこういうふうに出てくるのだろうか…ただ、夫婦で中華を食うならふつう大皿のものを取り分けそうなところ、ここは離婚の話が出る場面なので、わざと不穏な感じにしているのかもしれない。こういう何だかよくわからない不穏な場面では食べ物が出てくるのに、その後、感情的に重要そうなところで言及される北京ダック、チーズケーキ、ハンバーグは現物が出てこない。ハンバーグはたまき(吉田志織)と恭一がその後別れることをほのめかすために出さなかったのかもしれないが、たまきはこのへんも含めて描写が薄く、定型的な健気なだけの女になってしまっている。北京ダックとチーズケーキはプロット上大事なので画面に映すべきなのではないかと思った。とくにあのチーズケーキがどうなったのかというのは何か見せたほうがよかったのじゃないだろうか…

 全体的に、この映画ではやたら飲み食いに関係する場面が多いのだが、たぶん原作をいろいろ圧縮したせいでそれをうまく生かせておらず、食事描写がわりと中途半端になってしまっている。さらに、いろいろ展開が唐突なわりには要らないところがあり、同窓会の話とか、恭一が二丁目で気持ち悪くなる場面とかは全く要らないと思った。主演の2人はなかなか良いし、ラブシーンも綺麗なので、もうちょっとなんとかなりそうなのに残念なところだ。また、私はここ2ヶ月くらいで行定勲の映画を4本見たのだが、全ての作品においてペース配分に問題がある上、主演級の男が性的関係において大変にイヤな奴であり、何かそういう困った男にこだわりがあるとしか思えない。この映画も主演の2人は魅力的ではあるもののずいぶんと困った連中で、脅迫やらストーキングやら裏切りやらが絡んだけっこう問題ある関係をズルズル続けてしまうのだが、そのイヤな感じがあまりちゃんと掘り下げられていないように思った。うまく食べ物を生かして、食欲と性欲を結びつけられていればもうちょっとこのへんの掘り下げが細やかになったのではないかと思う。

マーガレット・アトウッド『獄中シェイクスピア劇団』のウェブ+チラシ用解説を書きました

 マーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』のウェブ+チラシ用解説を書きました。『テンペスト』の翻案で、大変面白いのでとてもオススメです。

note.com

 

 

今月の連載は洋楽の歌詞についてです

 今月のwezzyの連載は洋楽の歌詞についてです。英語圏の音楽ではカバーする時に歌詞の語り手のジェンダーを歌い手にあわせて変更することがあるんですが、これはどういう効果をもたらすか、また変更しない場合はどうなるかっていう話です。例としてビートルズとホワイトストライプスをあげています。

wezz-y.com

アーティゾン美術館+三越英国展

 アーティゾン美術館に行ってきた。リニューアルしてからは初めてである。

 まずは「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」展を見た。この展覧会は撮影できるのだが、けっこう遊び心のある特設展で面白かった。

f:id:saebou:20200904175650j:plain

でっかいすべり台。

f:id:saebou:20200904175737j:plain

「皮トンビ」という瀬戸内から持ってきた展示品。

f:id:saebou:20200904175723j:plain

クマ。

f:id:saebou:20200904175750j:plain

ゾートロ―プみたいな装置を使った影絵の展示。

 この他に「第 58 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示帰国展 Cosmo- Eggs| 宇宙の卵」という空間展示と、コレクション展でパウル・クレーの特集と「印象派の女性画家たち」展をやっている。主なめあてはこの印象派の女性画家展だったのだが、展示点数は少ないものの、けっこう役に立つ冊子を無料で配布している。

 その後、日本橋三越の英国展にスコーンを仕入れに行ったのだが、えらい混みようでちょっとうんざりした。写真はメルローズモーガンのヴィクトリアスポンジ。

f:id:saebou:20200904175802j:plain

 

カポーティの「娘」~『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』(試写、ネタバレ注意)

試写 『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』を試写で見てきた。作家のカポーティに関するドキュメンタリー映画である。

www.youtube.com

 ジョージ・プリンプトンの評伝が原作に近い位置づけで、プリンプトンの取材テープの公開…ということになっているのだが、何しろテープをかけているだけでは単調になってしまうので、わりと映像のインタビューが多い。コルム・トビーンとかジェイ・マキナニーとか、有名な作家もけっこう出てくる。終盤は未完の大作『叶えられた祈り』の原稿の行方についての話が中心で、これは最初の一部だけが公開されており、あとの部分が見つかっていない。カポーティは書き上げたと言っていたらしいのだが本当に全体の原稿はあるのか、あるとしたらどこにあるのか…といった謎がとりあげられている。

 とくに面白いのはカポーティの「娘」が出てくることだ。全く知らなかったのだが、カポーティには養女がいたそうで、その娘であるケイト・ハリントンが取材に答えてカポーティの個人的な生活ぶりについてもいろいろ話をしている。ハリントンはなんとカポーティの元カレの娘だそうで、いろいろあったせいでハリントンの父であるジョン・オシェイは家を出ていってしまい、暮らしていけなくなった時にハリントンがカポーティに連絡したところ、カポーティがハリントンを引き取るような形になったそうだ。ハリントンの口ぶりからすると、カポーティは型破りなところはあってもけっこう思いやりをもってハリントンを育てていたらしく、後年ドラッグ中毒がひどくなるまではちゃんとした養父だったらしい。カポーティはわりと付き合いにくく、わがままな人だというイメージがあったので、自分から子育てをしていたとはなかなか意外だ。家庭崩壊について多少責任感があったのか、それともハリントンはわりと小さい頃からしっかりした感じの子だったようなので、うまがあったのかもしれない。なお、映画の中では触れられていないのだが、ハリントンは映画の衣装デザイナーで、元夫は『プレデター』の監督で後に犯罪でつかまったジョン・マクティアナンである。

音楽が面白い~Kawai Project 番外編『リア王』リーディング公演

 Kawai Project 番外編『リア王』リーディング公演を見てきた。私の指導教員である河合祥一郎先生の新訳・演出によるもので、感染対策もあって一回の公演に15人しか入れないという非常に少人数向けの上演である。

www.kawaiproject.com

 『リア王』をそのままやると3時間くらいかかるのだが、これはなんと96分に縮めているものの、話はきちんと通っているし、変なカットもなく、役者陣の演技も良好で(やはりフェイスシールド付きで距離もとるということだとやりにくいのかな…と思うところも少しあったが)、キャラクターの違いなどもそれぞれわかるようになっている。リーディングとはいえある程度動きはあり、最低限の照明や音楽もあるので退屈しない(私はリーディング公演が大変苦手で、いつも起きているだけで一苦労なのだが、これはちゃんと最後まで起きて楽しめた)。とくにスポットライトの使い方などはわりと面白く、フランス王(西村荘悟)が突然コーディーリア(山﨑薫)が廃嫡されたと知って驚き、いろいろな疑念を語る序盤の台詞のところではスポットがフランス王だけに当たるようになっていて、このあたりは驚きやコーディーリアを好ましく思う気持ちがわかりやすく、良い照明の使い方だと思った。あと、生演奏の音楽が大変面白く、すぐそばで見たことのないような変わった楽器を使ってそれぞれの場面を盛り上げる音を出しており、これも非常に良かった。

せっかくアンドルー・スコットが笑わせてくれるんだから、みんなの笑い声が聞きたい~Three Kings(オールド・ヴィクよりライヴ配信)

 オールド・ヴィクがライヴ配信しているThree Kingsを見た。アンドルー・スコットのためにスティーヴン・ベレスフォードが書き下ろした一人芝居で、マシュー・ウォーチャスが演出している。撮影した映像をアーカイヴにして配信するのではなく、最初の挨拶とか注意事項以外は全てスコットの演技をカメラで撮ってネット中継するという形式である。上演時間は1時間くらいだ。

www.oldvictheatre.com

 アイルランド人の男性であるパトリックと、生前ほとんど会うことのなかった父親(同じパトリックという名前らしい)との関係に関する作品である。タイトルのThree Kingsというのは、8歳になったパトリックのところに初めて会いに来た父親が教えた3つのコインを使ったパズルゲームである。このゲームにはたぶんいろいろな意味がある。まずは父が子に課した試練である(この父親はまあ全く頼りにならない父親で、パトリックに対してこのパズルが解けたらまた会いに来るとかなんとかいう口約束をする)。一方でパトリックの父親というのはほぼ詐欺師みたいな生活をしていた人であることがわかってくるので、人の注意を引くためのトリックであるこのゲームはその怪しい生き様を象徴する。さらにThree Kingsというのは、聖書に出てくる東方の三博士の別名であり、つまり幼子イエスの誕生を祝って贈り物をもってきた人々を指すので、たぶん父から子への贈り物という意味もある。パトリックは自分の父親がひどい男だということは認識しているのだが、自分にも父親に似たところがあるのはわかっており、さらに終盤で異母弟であるパディ(パトリックの愛称で、つまりパトリックの父親は息子2人に自分と同じ名前をつけた)にも別の点で自分に似たところがあると知る。最後にパトリックが自分たちの欠点について「父」(これは実父でもあり、神でもある)に祈る場面があり、全体的にキリスト教的な象徴に満ちた芝居だと言える。

 もともとライヴ配信を想定して作ったというだけあり、撮影はかなり凝ったものである。Three Kingsというタイトルにあうよう、最初の場面はひとつのカメラがスコットをとらえ、次の場面は2つのカメラ、その次の場面は3つのカメラになって、最後のお祈りの場面はまたカメラがひとつに戻る。これはちょっとキリスト教の三位一体を連想させるところもあり(たぶんパトリックという3人の男が本質的には似ていることを撮り方で示唆しているんだろう)、またスコットの細かい表情や動作をいろいろな角度からとらえられるので、とても効果的な試みだ。ちゃんと英語字幕も出る。

 スコットがモノローグが得意なのは既にSea Wallでよくわかっていることなのだが、この作品のスコットの演技も大変良かった。ひとりでいろんな役をやり、感情的な悲しい場面から面白おかしいところまで、非常に広い表現をしている。かなり重い話なのに笑うところもけっこうある。お父さんが"Spanish Count"のフリをして別の女性に近づいていたという話を聞くくだりでパトリックが「え、Spanish Countですか?」みたいに聞き返すところはかなり笑った(Count「伯爵」は英語でCunt「マンコ野郎」と発音が似ているので、まるでオヤジさんがスペイン人のスケベ野郎として女に近づいたみたいな響きで笑える)。またアイルランドネタもあり、パトリックのオヤジさんが知り合いのピートをけなすのに「イギリス人ときたら、シェイクスピアからパーマストンを経てピートに劣化してる」とかいうそれはそれはひどい発言をするところの「パーマストン」は、首相もつとめた有名な政治家である一方、アイルランドの領地で情け容赦のない不在地主ぶりを発揮していたパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルのことで、これも笑うところだと思う。ただ、悲しいのはZoom観劇だと周りのお客さんの笑い声が聞こえないことで、これはとても寂しい。せっかくスコットが笑わせてくれるんだから、みんなの笑い声を聞きたい。