イモが大事だ~『デリシュ!』

 エリック・ベナール監督『デリシュ!』を見てきた。

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 舞台は1789年のフランスである。新しい食材を取り入れるのに意欲的なマンスロン(グレゴリー・ガドゥボワ)は、まだフランスではあまりなじみのないジャガイモを使ったオリジナルレシピのパイ「デリシュ」を雇い主のシャンフォール公爵(バンジャマン・ラベルネ)に出し、顰蹙を買って仕事を辞め、故郷に帰ることになる。息子のバンジャマン(ロレンツォ・ルフェーヴル)と昔からの知り合いであるジャコブ(クリスティアン・ブイエット)、また突然現れたジャム職人だという女ルイーズ(イザベル・カレ)と一緒に地元の旅籠を始めるが、期待していた公爵邸での復職はなかなか果たせず、それどころかジャコブが亡くなり、公爵にはまた煮え湯を飲まされてしまう。バンジャマンやルイーズのアドバイスでマンスロンは料理を提供する店を始めるが…

 史実には基づいていないそうで、まあ見てきたようなウソのお話である。ジャコブが亡くなり、さらにルイーズの正体がわかるところはちょっとドラマティックすぎてわざとらしい。あと、キノコとかパン生地(パイ生地かも)みたいなものも何でも生で味見しており、これは時代考証はOKなのかな…とか、いくつかけっこう細かいところで気になった(18世紀の衛生状態でそんなことをすると食あたりになるのでは?)。ただ、食べるものはどれも美味しそうで、私の好きなイモもたくさん出てくる。全体的には時代劇とはいえけっこうジョン・ファヴローの『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』に雰囲気が似ており、一度窮地に追い込まれたシェフがもっと庶民的でみんなに楽しんでもらえるやり方で料理を提供することにより、料理人としての誇りとインスピレーションを取り戻すという作品である。

実は猫映画~『地下室のヘンな穴』(ネタバレあり)

 カンタン・デュピュー監督『地下室のヘンな穴』を見てきた。

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 舞台は現代フランスのどこかの郊外である。アラン(アラン・シャバ)とマリー(レア・ドリュッケール)の夫妻は地下室にヘンな穴のある家を買うことにするが、この穴はなぜか家の上階につながっており、入ると時間が12時間進むかわりに肉体が3日若返るというものだった。マリーはこの穴を使うのにハマってしまい、若返ってモデルになると言い出す。一方、アランの上司であるジェラール(ブノワ・マジメル)は年下のガールフレンド、ジャンヌ(アナイス・ドゥムースティエ)と暮らしていたが、最近、日本でペニスを電子制御ペニスに付け替えてもらっていた。ところがこのペニスはけっこう不具合を起こしており…

 テーマは若さへの執着で、マリーとジェラールが女と男、それぞれ違った形で自分の加齢と成熟に向き合えない人として出てくる。ただ、突然モデルになりたいと言い出すあまり背景のわからないマリーよりも、たぶん若い頃は色男で鳴らしたのだろうが今はすっかり図々しい困ったおじちゃまになっているジェラールの話のほうが展開としては面白く、ヘンな穴よりも急に動かなくなったり火を噴いたりするサイボーグペニスの下ネタのほうを本筋にしたほうがもっと笑えて良かったのでは…と思ってしまった。ちょっと『マルコヴィッチの穴』っぽいところもあるのだが、穴の理屈は全くわからず、穴とペニスのヘンなネタ2発で1時間ちょっと引っ張って笑わせるという簡潔な不条理コメディである。

 なお、この映画は猫映画でもある。登場する猫は大変かわいい。さらに、すぐにふらっといなくなってお腹がすくと帰ってくるので困ったものだと言われている猫の生態に、穴に入ってよくわからない時間に戻ってくるマリーの生態がだんだん近づいていってしまうあたりも面白い。

国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」展

 国立西洋美術館のリニューアル記念展である「自然と人のダイアローグ」展を見てきた。ドイツのフォルクヴァング美術館の収蔵品と国立西洋美術館の収蔵品を、自然と人をテーマに展示したものである。フリードリヒ、モネ、ゴッホなどひとつひとつの作品はけっこう良いのだが、ちょっと並べ方がよくわからないところもある。途中でルドンの目やケンタウロスの絵があったりするのだが、そのへんはどこが「自然と人のダイアローグ」なのかよくわからないし。あと、シャセリオーとかジャン=フランソワ・ミレーの神話を題材にした国立西洋美術館所蔵品がわりと新しめの画風の絵と並べてあるのは、画題が古く見えてしまうのでイマイチであるように思った。

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『西日本新聞』、『ダ・ヴィンチ』10月号、『週刊金曜日』9月9日号に新刊書評がのりました

 『西日本新聞』、『ダ・ヴィンチ』10月号、『週刊金曜日』9月9日号に新刊『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロードージェンダーフェミニズム批評入門』の書評がのりました。短期間に3本も書評が出てありがたいことです。

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諷刺は辛辣だが、台本はイマイチか~国際ギルバート・アンド・サリヴァン祭『ユートピア有限会社』(配信)

 国際ギルバート・アンド・サリヴァン祭による『ユートピア有限会社』を配信で見た。ジェフ・クラークの演出である。これはギルバート・アンド・サリヴァンの演目でもほとんど上演されないもので、国際ギルバート・アンド・サリヴァン祭でも上演されるのは2回目だということだ。

 南洋のどこかにあるらしいユートピア国は平和で皆安楽に暮らしていたが、専制君主パラマウント王(ベン・マカティア)は長女であるザラ王女(モニカ・マッギー)をイングランドのガートンカレッジに送り、国のイングランド化をもくろんでいた。帰国したザラ王女はブレーンとして英国から6人の男性を連れて帰ってきており、この人々の助言でユートピア国は有限会社となり、イングランド式にいろいろな改革が行われる。ところが改革がいきすぎてみんな健康で犯罪がなくなったので医者やら弁護士やらは失業し、女性陣はイングランドのレディとして礼儀を重んじすぎてろくに社交もできなくなる。結局、ユートピア国はバランスをとるため、全てがうまくいかなくなるにきまっている議会制度を導入することにする。

 有限会社に関する法律とかイングランドの政治に対する非常に辛辣な諷刺を含んだ話だが、一方で台本はけっこうとっちらかっており、第1幕が長いのに第2幕は急いで畳んでいるみたいな感じで(そのわりにデビュタントボールの場面は長い)、ペース配分があんまりよろしくない。さらにギルバート・アンド・サリヴァンの過去作である『ミカド』とか『軍艦ピナフォア』に言及してネタを使い回しているところもあって斬新さは少なく、たしかにこれは他の作品に比べるとウケが悪いだろうと思った。また、全体的に南洋幻想どっぷりなので現代ではやりにくそうだ。『ミカド』同様、ここに出てくるユートピア国はヴィクトリア朝の英国を諷刺するための人工物だし、英国政府の植民地主義政策に対する皮肉でもあるのだが、ユートピア国の人たちが自分たちを半ば野蛮人だと言ってイングランド化を推し進め、その結果なんだかよくわからないことに…という展開は今の視点からするとだいぶ古臭い。この演出はそのへんを考え、ユートピア国の人たちはあんまり南洋風な衣服は着ていない…のだが、ちょっとトルコ風に見えるところもあり、そのへんは逆に問題かもしれない。笑うところはたくさんあるのだが、やはり他の作品に比べるとイマイチだと思う。

動きの制限から祝祭へ~『令和X年のオセロー』

 吉村元希作・演出、戯曲組『令和X年のオセロー』を見てきた。90分くらいに刈り込んだ『オセロー』の翻案である。シンプルなセットに現代風の衣装で(ただし女性陣はコルセットみたいなものをつけている)、かなりデズデモーナ中心の構成にし、ビアンカ周りの話などはカットされている。

 デズデモーナ中心で『オセロー』を…というと、アン=マリー・マクドナルドのGoodnight Desdemona (Good Morning Juliet) (1988)、ポーラ・ヴォーゲルDesdemona: A Play about a Handkerchief (1993)、トニ・モリスンの『デズデモーナ』(2011)などの先例があるのだが、この作品はむしろ戯曲組が前にやった『エアスイミング』に近い印象を受けた。コルセットやらバレエシューズみたいな衣類から人間関係まで、さまざまな要因で動きを封じられがちな女性たちがあまり出口のない状況で抵抗の隙間を探すというようなところに共通点がある。最後にデズデモーナがなんと息を吹き返してしまってからは、それまでの静かな抵抗の芝居から免罪符が飛び散るちょっとした無礼講の祝祭みたいな感じになる。

 『オセロー』は通常の上演でも翻案でも、デズデモーナ(吉村元希)とエミリア(中山侑子)の関係をどうするかが大事になってくる。トニ・モリスンの『デズデモーナ』みたいに主人と召使いの厳然たる階級区別に基づく関係にすることもあれば、立派な貴婦人にお仕えして仕事に誇りを持っているエミリアと女性上司みたいに描くこともあると思うのだが(ニコラス・ハイトナー版エミリアが軍属でボディガード兼アシスタントみたいな感じになっており、これに近かったと思う)、この公演のデズデモーナとエミリアは完全に対等な友人である。エミリアはデズデモーナのことをいろいろ思っているのだが、人生の中で間違ったアドバイスをしてしまうこともあり、最後はそのあたりの後悔も描かれている。わりと抽象的・象徴的なストーリー展開だが、このあたりの女性同士の人間関係の描き方はリアルだと思う。