自伝的作品というだけあってわりと淡々とした作品~『エンドロールのつづき』(ネタバレあり)

 パン・ナリン監督『エンドロールのつづき』を見てきた。

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 グジャラートの田舎町に住む9歳のサマイ(バヴィン・ラバリ)は、父(ディペン・ラヴァル)がやっている駅のチャイ売店を手伝いつつ、映画に憧れていた。そんなサマイは、ギャラクシー座の映写技師のファザル(バヴェーシュ・シュリマリ)に、料理の達人である母(リチャー・ミーナー)が作った弁当と引き換えに映写室に入れてもらえることになる。サマイは自分で映画上映の真似事をするなど、映画好きが高じていろいろなことをするようになるが、そのせいでトラブルにも巻き込まれる。

 監督の自伝的作品だそうで、そのためか展開はけっこう淡々としている。『ニュー・シネマ・パラダイス』とか『ラスト・ショー』(あと『エンパイア・オブ・ライト』も)などを思わせる、ノスタルジックな映画ものである。お父さんの店が駅の改修で閉鎖になるとか、いろいろちょっとした事件が起こるのだが、そこにお母さんが作ってくれる美味しい弁当の描写が挟み込まれている感じだ。サマイはもともとお話を作るなどクリエイティヴなことが好きな子で、マッチ箱の模様を使ってランダムにお話を作るゲームを楽しむなど、なかなか想像力が必要な遊びをしていた。そんなサマイが映画にハマり、DIYで上映の真似事をするようになるのだが、ここは創意工夫がなかなかすごいと思った(フィルム泥棒をするのはやりすぎだが)。最後はけっこう暴力的に終わる…というか、映画館の上映がデジタル形式の上映になってファザルが失業し、映写機やフィルムは廃棄されて再利用に…というオチで、映画の歴史を区切る上での一時代の終わりにサマイの新たな旅立ちが重なるようになっている。

 なお、この映画の宣伝方法にはちょっと文句がある。公式サイトのサマイ役のバヴィン・ラバリの紹介に「同じクラスのリヤという女の子に恋をしているが、まだ一度も会話を交わしたことはない」なんていうことが書いてあるのだが、こういうのはおふざけでもやめるべきだと思う。大人になってから本人が恥ずかしく思うのじゃないかという気がするからだ。

ユニセフプロパガンダ映画なんていうものがあるのか…『丘の上の本屋さん』(試写、ネタバレ注意)

 『丘の上の本屋さん』を試写で見た。

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 舞台はイタリアの小さな地方の村である。古書店の店主であるリベロ(レモ・ジローネ)はブルキナファソ出身の移民で本が好きな少年エシエン(ディディー・ローレンツ・チュンブ)と仲良くなり、売り物の古本を貸してあげるようになる。一方で隣のバールで働いているニコラ(コッラード・フォルトゥーナ)は店を手伝うというような名目でしょっちゅう古書店にサボりに来ており、常連のキアラ(アンナマリア・フィッティパルディ)を口説こうと一生懸命だが…

 ユニセフ・イタリアが制作にかかわっているそうで、途中までは教育的なご当地映画という感じなのだが、最後でいきなり『世界人権宣言』が出てきて、完全なるユニセフプロパガンダ映画(そんなものがあるとは思ってもみなかったが)になるのがビックリした。そりゃあ『世界人権宣言』が図書の普及とか書店の保護とかに実は関連しているというのはよく考えればわかることだが、そうは言ってももうちょっと途中でうまくやれたのでは…という気がする。『世界人権宣言』は別に面白い文書ではないので、エシエンが「あんまり面白くなかった」みたいな話をして最後にそれが何かで拾われる…みたいな展開ならともかく、ためてためて最後に『世界人権宣言』が出てくるので、かなりあからさまなプロパガンダになってしまっている。

 チヴィテッラ・デル・トロントという風光明媚なところで撮影したそうで、映像はとても綺麗だし、温かみのある話ではあるのだが、全体としてはあっさりしすぎている上、教育的すぎてあんまり盛り上がりのない映画である。とりあえず本の読み方を教えている教員としては、リベロがエシエンと本の話をする時のアプローチが教訓的すぎると思う。エシエンは賢い子だからああいうアプローチでもリベロとちゃんと本の話ができるが、ふつうはああいう読み方だと本の面白さを考えるよりも教訓的なところを引き出す読み方ばかりするようになってしまって、子どものほうが本を楽しんで読む習慣を身につけられないのではと思った。あと、教育という点では序盤にエシエンにどうもペドファイルっぽい男が近づいてくるけっこう怖い描写があるのだが、ここもヤングアダルトくらいの観客に見せることを想定しているならもっとちゃんと拾ったほうがいいのではないかと思った。BDSMの本を探しに来る女性のくだりは要るのかな…と思ったし(女性はエロティック文学を買いにくいというのはわかるが、とってつけたような感じである)、ニコラがキアラにアプローチするやり方もしつこすぎる気がする。

 

ちょっといろいろ気になるところが…『エンパイア・オブ・ライト』(試写、ネタバレ注意)

 サム・メンデス監督の最新作『エンパイア・オブ・ライト』を試写で見てきた。

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 舞台は1980年代初頭のマーゲイト(海辺のリゾート地)である。地元の映画館でマネージャーをしているヒラリー(オリヴィア・コールマン)は、ボスである既婚者のエリス(コリン・ファース)から極めて身勝手な性関係を要求されていた。そんなヒラリーは新しく映画館に入ってきた黒人青年スティーヴン(マイケル・ウォード)と親しくなり、やがて恋愛関係になる。ところがヒラリーのメンタルヘルスの問題やイギリスで増加する人種暴動などの影響もあり、2人の関係はなかなかうまく進まない。

 全体的に演技は大変素晴らしく、コールマンは相変わらず名演だし、若手のウォードや映写技師役のトビー・ジョーンズ、イヤな奴を楽しそうに演じているファースなども良い。作中で大きな役割を果たしているのはピーター・セラーズ主演の『チャンス』なのだが、『年上の女』(1959)とか『蜜の味』(1961)みたいな「怒れる若者たち」映画っぽいところもある。映画館文化に対するノスタルジアについてもわかるところはある。

 とはいえ、けっこう脚本にはいろいろ問題があると思う。まず、ヒラリーとスティーヴンの年の差がたぶん20歳くらいあり、スティーヴンは大学進学を目指していて、まだ学生の年である。正直、人種差別などが横行していてマイノリティは慎重に振る舞わざるを得ない時代に、若くて爽やかで感じのいい黒人男性が20歳年上の白人女性ボスにこんなにぐいぐい行くかな…と思ってしまった。なんだかヒラリーくらいの年の中年女性の願望そのまんまみたいな感じで、ちょっとご都合主義がすぎると思った。また、いきなり中年白人女性の人生に現れるスティーヴンがマジカルニグロっぽい描き方に見えかねないところもあんまり良くない(一応ちゃんとスティーヴンにもストーリーラインがあるのでそのへんは和らげられてはいるが)。

 また、人種差別の他にメンタルヘルスの問題まで盛り込まれているせいで焦点がはっきりしない。人種差別を描きたいならスティーヴンを主人公にしたほうがいいのだが、中盤以降はかなりヒラリーのメンタルヘルスの話になる。けっこうごちゃごちゃいろんな要素が詰め込まれており、整理されていない印象を受ける。

私が苦手なタイプのドキュメンタリー~『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』(試写)

試写 『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』を試写で見た。マリメッコのデザインで有名なデザイナー・画家のマイヤ・イソラについてのドキュメンタリーである。

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 マイヤ・イソラは恋多き女性で旅を好んでおり、そのへんに焦点をあてたドキュメンタリーなのだが、正直、私がかなり苦手なタイプのドキュメンタリーである。ほとんどはイソラに関連するアーカイブの静止画像(たまにアニメーション化されているものもある)に、やはりイソラに関する文字資料(書簡とか)の読み上げをかぶせるというもので、たまに娘のクリスティーナなどによる母についての回想が入る。全体的に読み上げの声もクリスティーナの回想も静かで、あまり起伏はない。研究者とか批評家とか他のデザイナーによるコメントとかはないし、途中でイソラの記録に出てくる映画のタイトルとか人名とかについても一切、注釈がつかない。ある程度マリメッコとかイソラの業績について知識がある人向けに作られている感じである。このため、イソラの業績の客観的な位置づけとか、どういう影響を他に与えたのかといったことがまるっきりわからず、正直、私のようなあまりこのへんの知識がない者にとっては、整理されていない一次情報がボンボン出てきているだけみたいな感じであまり面白くなかった。好みの問題だが、ドキュメンタリーには(『モリコーネ 映画が恋した音楽家』みたいに)もうちょっと対象となった人物の業績の位置づけとか整理とかを求めたい。

『トップガン マーヴェリック』のわりを食った感じの歴史もの~『ディヴォーション: マイ・ベスト・ウィングマン』(配信)

 『ディヴォーション: マイ・ベスト・ウィングマン』をNetflixで見た。実在するアメリカ軍の黒人パイロットで、非白人としてアメリカ軍史に残る業績をあげたジェシー・ブラウンと、そのウィングマンだった白人のトム・ハドナーをめぐる史実に基づいた作品である。

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 1950年代、トム・ハドナー(グレン・パウエル)と、初めてアメリカ海軍生え抜きの黒人パイロットとなったジェシー・ブラウン(ジョナサン・メジャース)がクオンセット・ポイント空軍基地に赴任してくる。ジェシーは既に家庭があり、仲間とつるむよりも妻と過ごすのを大事にしていたが、キャロル(ニック・ハーグローヴ)やトムとは親しくなる。ところが最初の任務の出張先でキャロルが事故死してしまう。トムと組んだジェシー朝鮮戦争で戦果をあげるが、ジェシーの乗機が墜落してしまう。トムはコックピットから出られなくなったらしいジェシー救出のために急遽降りて救助を敢行するが、努力にもかかわらずジェシーは死亡し、遺体の回収ができないままトムは復員することになる。

 米軍における人種差別と、それにめげずに後進のための道を開いた実在人物に関する真面目な伝記映画である。黒人男性と白人男性の友情を描いているが、白人中心にはなっておらず、わりとバランス良く主人公の2人を描いている。ジェシーの視点から鋭く人種差別を描いているところがけっこうあり、善意に満ちていて人種差別意識は無いのだが、優等生すぎてマイノリティがふだんから気をつけている振る舞いのあり方などについて思い至らないトムがジェシーとのかかわりで変わっていくところをかなりきちんと描いている。トムがジェシーと管制や上官の指示に従うべきかどうかについて話すところや、頭に血が上ってジェシーのかわりにケンカしそうになって少し保護者ぶった振る舞いをしてしまうところ、トムが馬鹿正直な報告書を提出してしまってジェシーに諭されるあたりなどは、軍に限らずアメリカのいろいろなところで黒人のパイオニアはこういう慎重で人間関係に波風立てないようにしつつ身を守る振る舞いを強いられていたのだろう…と思うし、さらに白人でも良い人ほどこのポイントには気付かないのではという気がする(周りの人間も自分同様、公正に振る舞うはずだという思い込みがある)。この映画にも『トップガン マーヴェリック』同様、米軍のリクルート、とくにあまりリッチではないが優秀なマイノリティを軍人としてリクルートするためのプロパガンダ的な要素があると思うのでそこは割り引いて考えないといけないと思うのだが(パイロットとして業績をあげているジェシーを、軍で働いている他の黒人のブラザーたちがロールモデルとして尊敬しているという描写がある)、人種差別に関する描写や、トムとジェシーがだんだん互いを理解しあって最後は友情で結ばれるあたりの描写はかなり丁寧である。

 

 ただ、正直なところ、公開のタイミングがかなり悪かったのではという気がする。クオリティのわりにアメリカで全然当たらなかったらしいのだが、人種差別を描いているところ以外は航空アクション戦争映画で、グレン・パウエルまで出ているし、『トップガン マーヴェリック』と似た要素がありすぎる。とくに最後の救助シークエンスは『トップガン マーヴェリック』にかなり似ているが(そもそも『トップガン マーヴェリック』がこの種の航空救助に関するいろんな実在の事例をヒントにしているのかもと思うのだが)、史実ベースなもんで相当なバッドエンドである。お金を払って映画館で見るなら、史実ベースの悲劇的で真面目な作品よりも、トム・クルーズが大暴れするスカっと航空アクションを見に行く気がするので、そのへんで不運な作品だったのだろう。

 

『キネマ旬報』2月上旬号に『イニシェリン島の精霊』のレビューを書きました

 『キネマ旬報』2月上旬号に『イニシェリン島の精霊』のレビューを書きました。書誌情報は以下のとおりです。

北村紗衣「暴力と図書館~『イニシェリン島の精霊』をめぐって」『キネマ旬報』2023年2月上旬号、pp. 53-54。

 

 

ウィキペディアの季節記事として[[猫 (十二支)]]を立項しました

 2023年の年末年始記事として、旧正月(1月22日)にあわせて猫 (十二支)を立項しました(去年は[[リトル・クリスマス]]を立項しました)。今年はベトナムでは猫年です。これが今年最初の立項です。

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