ヘイマーケット座、イアン・マッケラン主演『ゴドーを待ちながら』

 ヘイマーケット座、イアン・マッケラン主演『ゴドーを待ちながら』を見てきた。


 全体的に面白かったと思うのだが、ひとつ思ったのは、『ゴドーを待ちながら』は見ていてすごいつらい芝居だということである。つらいというはチェーホフみたいに人間に対する視線が冷たいとか、シェイクスピアみたいに大人から子供まで残虐にバタバタ死ぬとかそういう「つらい」ではなく、ものすごい睡魔に襲われる瞬間が必ずあるということである。なんというか見ていてひどく疲れるし、台詞が何を意味しているのか半分はわからないし(日本語でもわからないと思うが英語だとなおさら)、ある瞬間は爆笑かと思ったら次の瞬間には信じられないほどたるくなるという意味不明な起伏がある。前見た『勝負の終わり』も基本的には面白いけどやっぱりものすごい睡魔に襲われる瞬間があったので、これはおそらくベケットが意図的にやっていることなのだと思うのだが(学部の演劇の授業で「ベケットは芝居を見るつらさについて最も自覚的であった劇作家です」と習ったな…)、あれはアイルランド的な人を食ったユーモアの極北なのか、それともアーティストとしてのこだわりなのか、私はベケットに詳しくないのでいまいちわからない。ゴドーがすごいつらかったのは、一幕と二幕がほとんど同じ内容だということである。二幕は一幕にちょっとだけ変化を加えて、しかもより暗くなるので、見ていて厳しいったらありゃしない。



 とりあえず役者の芝居はすごくいい。イアン・マッケランエストラゴンはなんか「可愛くボケたじいさん」みたいな感じで、いつもの現存する世界一セクシーなシェイクスピア役者の面影はあまりない(この人は70近いはずなのだが、去年の「世界で最もセクシーなヴェジタリアン」候補だった)…のだが、カーテンコールではエストラゴンじゃなくていつものシャープなサー・イアンに戻っていて、こいつはミック・ジャガーと並ぶイギリス屈指のバケモノパフォーマーだなと思った。
 ロジャー・リースがウラジミルの役で、なんでも去年の初演ではこの役はパトリック・スチュアートだったらしいのだが、優しくて良い感じなんだけどおそらくスチュアートほどの迫力はなかったのでは…と思う(スチュアート版は見てないんだけど、予想)。マシュー・ケリーのポッツォとロナルド・ピックアップのラッキーも頑張っている。とくにラッキーの長台詞は全く何がなんだかわからなかったが、それでも寿限無みたいで面白い。


 全体としては芝居の達者なエストラゴンとウラジミルをフィーチャーした温かめのゴドーになっているのだが、なんというかそのせいでこのプロダクション自体が「老い」をテーマにした結構明るい話みたいに見えてならなかった。ゴドーっていうのは本来なんかもうちょっと不条理で孤独な厳しい話なのではないかと思うのだが、ちょっとエストラゴンに老人力がありすぎて(ウラジミルに「昨日ポッツォに会っただろ!!」とか迫られるところは本当に好々爺っぽい)、一幕と二幕が繰り返しなのも「まあ老人だから覚えてなくてもしょうがないよねー」みたいに見えてしまうところがある。実は一幕はウラジミルの妄想でボケ気味なのはエストラゴンじゃなくウラジミルのほうなのかもとか考えるとより面白いかもしれない。
 演出もすごくユーモアが強調されているので、盲目のポッツォと口のきけないラッキーが倒れ込んでくるとことか、最後にエストラゴンとウラジミルが自殺をはかろうとするところもそこまで暗くない気がした。とくにエストラゴンとウラジミルが自殺を諦めてゴドーを待つことにするのは開き直った希望さえ感じたんだけど…なんていうか、年取ったり重病になったりすると、生きている時間は期限つきで借りてきた時間のように感じられてくるのではないかと思うのだが、ゴドーはこの期限付きの人生の最後を象徴しているような気がしてならない。エストラゴンとウラジミルはロクでもないしょぼくれた老後を生きているのだろうし、最後は自分らで自殺すら考えるが、結局二人で「ゴドーを待って、自殺はその後に…」と考え直す。ボケ気味のじいさん二人でなんやかんやで助け合って老後を過ごすというのは、実はすごく美しいことなんじゃないだろうかとか考えて見ていると、なんだかえらく楽しい芝居のような気がしてしまった。


 しかしながら、おそらくゴドーはそういう芝居じゃないんではないかと思うので、このプロダクションがゴドーらしいゴドーなのかどうかについてはかなり疑問がある。ゴドーはもうちょっと厳しくて不条理な芝居であるべきなんじゃないのだろうか…しかし、この間の『勝負の終わり』もそうだが、最近ベケットを「家庭劇」っぽく演出するのが流行ってるのかね…私の見方のせいで家庭劇っぽく見えるのかもしれないのだが、ひょっとしたら不況のせいで「人間の孤独!」とか大上段に構えたテーマよりは「老後どうする」とかそういうドメスティック指向の演出が流行ってるのかもしれない。