In Britain, you play the instruments. In Soviet Russia, the play instruments you!〜ナショナルシアター『良い子のごほうび』(Every Good Boy Deserves Favour)

 …えーっ、我ながらなかなかロシア的倒置法が決まったなと自己満足しつつ、今日見に行った、トム・ストッパード&アンドレ・プレヴィンの音楽劇『良い子のごほうび』(Every Good Boy Deserves Favour)ナショナルシアター公演の感想。


 『良い子のごほうび』は、たぶんあまり良い邦題とはいえない。と、いうのも、"Every Good Boy Deserves Favour"っていうのは英語圏で楽譜を読む時にトレブル記号で五線譜の線に引っかかる音を下から上へ覚えるための符号だからである。と言っても全然わからないと思うので図で示すと、

 これは何の変哲もないヴァイオリン・ピアノ用のト音記号(トレブル記号)だが、それぞれの線にあたる音は一番下からミ(一点ホ)、ソ(一点ト)、シ(一点ロ)、レ(二点ニ)、ファ(二点ヘ)である。で、この音の名前は英語ではE,G,B,D,Fである。つまり、"Every Good Boy Deserves Favour"と頭文字をとって覚えれば、どの線にどの音が引っかかるのか譜読みするときにすぐ思い出せるってことだ(…えーっ、ただしたぶんこれは初心者用。譜読みが得意な人は文字を読むのと同じで見た瞬間に音が読めるのでこういう覚え方はしない。というか、私はこの芝居を見に行って初めてこんな覚え方を知った)。


 と、いうことで、この『良い子のごほうび』は、音楽劇である。役者は6人いればできるのだが(たぶん5人でもできるかも)、なんと芝居のできるオーケストラが必要で、そのせいであまり上演される機会がないらしい。戯曲を読んでいるかぎりではあまりわからなかったのだが、今日見て一番最初に思ったのは、「これはオーケストラきついな…」ということだった。



 この戯曲はなんとも形容しがたい話で、筋はあってないような感じである。舞台はソビエトらしい独裁国家で、誹謗罪でつかまった政治犯の男(アレクサンダー)と、自分はオーケストラを連れていると主張する男(イヴァノフ)が精神病院で同室にされ、すったもんだのあげく結局出してもらえるんだけど…という話。ストッパードは東欧ユダヤ系で、ソビエト政治犯に会ってこの話を考えついたらしい。台詞に明示的にソビエトが出てくるし、独裁政権による人権侵害を寓話を用いて諷刺しているのは明らかなのだが、なんというか設定自体はたやすく陳腐な不条理劇か政治劇になりそうな感じだし、もう既にソビエトはなくなってて昔の話になっているのだが、それでもまあちっとも古くなってないのが驚きだった。同じような題材を扱っても工夫次第でこんなに力のある戯曲になるとは…


 戯曲自体に力があるっていうのはプレヴィンの音楽によるところが大だと思うのだが、なんというかこの芝居は、「頭の中にオーケストラを持つ」ことのすばらしさを称えた芝居である気がする。アレクサンダー(言葉による抵抗で投獄された)とイヴァノフ(オーケストラが自分にくっついていると主張する)は、一見全然違うことで政府から抑圧を受けているようだが、実はどっちも「内面の自由」を訴えているがゆえに投獄されているんだと思う。アレクサンダーはソビエトのやっていることに批判的な言動をするから政府にたいして直接的な危険があるってことになる。イヴァノフは頭の中に自分が好きなように操れるオーケストラを持っており、それはつまり内面が政府の管理下に置かれていないってことを象徴しているがゆえに間接的な危険をはらんでいる。言論で抗議し、ハンストでやせ細るアレクサンダーの抗議は正攻法だが、頭の中のオーケストラを手放さないイヴァノフの「抗議」方法はからめ手で一筋縄ではいかないがゆえに政府にとっては余計ややこしい。



 そんなわけで、プレヴィンの音楽を生かして「頭の中のオーケストラ」をきちんと客に見せないとこの芝居はあまり面白くなくなっちゃうと思うのだが、とりあえずこの公演ではオーケストラ(サウスバンクシンフォニア)がちゃんと芝居してるのが素晴らしい。おそらくは中にダンサーが数人仕込まれているのではないかと思うのだが(途中でオーケストラが囚人と看守みたいな格好の人にわかれて仲間割れのようなことをするシークエンスがあるのだが、動きがプロっぽかった)、演奏者も無言ながらきちんと芝居にはまるよう演技してる。この人たちはイヴァノフの想像上のオーケストラっていうことで、イヴァノフに怒られたり触られたりするのだが、そういうときもちゃんとイヴァノフ役の役者ジュリアン・ブリーチの動きにしっかり反応しつつ演奏は落ち着いてこなしていてさすがプロだと思った。これは偶然(というか土地柄かな)だと思うのだが、オーケストラが割合いろんな民族の人からなっていて、「イヴァノフの頭の中は他民族国家です!」みたいな感じになっているのも結構面白かった。


 台詞のある役者さんたちも良かったと思う。ジュリアン・ブリーチのイヴァノフはとても可笑しかったし、サーシャ(アレクサンダーの息子)役の子役も頑張っている。


 演出もとても的確で、光の効果の変化とかオーケストラの配置までかなり精密に考えられているみたいで客を飽きさせない。クライマックスでは上から大量に紙が降ってくるのだが、その紙はこんな感じ。あからさまにソビエトである。



 …ただ、昨日に引き続きどういうわけだか字幕の機材トラブルが起こってそれが最悪だった。私の席がある側の字幕掲示板が途中でいきなり動かなくなったので、反対側のパネルの前に席を替わらないといけなかった。字幕自体はとても面白くて、オーケストラの音まできちんと字幕化するというのが良かった(芝居のモチーフになっている「E, G, B, D, F」の音をオーケストラが出す時はちゃんと字幕に出る)。とはいえ機材がトラブっては意味ない…