技術独占による帝国主義vs地を這う民主主義〜ガイ・リッチー監督『シャーロック・ホームズ』

 ロバート・ダウニー・ジュニア&ジュード・ロウ主演、ガイ・リッチー監督の『シャーロック・ホームズ』を見てきた。いつもと違って新作専門の映画館で見たので、9.95ポンドもした。


 一言で言うと、ガイ・リッチーが『ダ・ヴィンチ・コード』を撮るとこうなるって感じ。「悪の組織」が19世紀のアレイスター・クロウリーっぽいオカルトがらみだったり、タイムリミットがあって何らかのものを象徴する場所で儀式的な殺人が行われたり、謎解きよりもアクションとスピードに重きをおいているあたり、発想は本家のコナン・ドイルよりもダン・ブラウンに近い。


 ただ、なんてったってガイ・リッチーが撮ってるもんで、アクションがスピーディだ。しょっぱなから大捕物で始まるし、ワトソンにふられたホームズがファイトクラブみたいな賭ボクシングでうさばらしをしたり、とにかくロバート・ダウニー・ジュニアもジュード・ロウもものすごくアクションをやる。あと、こういうアクションをやる時に、19世紀末のロンドンをうまく再現しつつ、アクションやってる場所が「今のどこらへんか」わかるようにしているのも心憎い。最後は建設中のタワーブリッジで対決だったりとか、ロンドン子なら楽しいネタがいっぱいある。



 ホームズとワトソンはアクションをするばかりでなく、かなり退廃的…である(これは役者の個性が大きい。ダウニー・ジュニアは頭はいいのに飲んだくれみたいな役を得意としているし、ジュード・ロウもクセのある役のほうが得意だ)。ワトソンはわりとちゃんとした人で結婚を控えているのだが、ホームズは事件がなくなると二週間も家に引きこもって家で銃を乱射したり、ワトソンの結婚がイヤで婚約者のメアリをいじめたりで、捜査をしていない時は朝の二時まで起きてこない19世紀のダンディ+マッドサイエンティストみたいな感じ。ワトソンはホームズがメアリに嫉妬しているのにうんざりしているのだが、そのくせホームズがご執心のアイリーン・アドラーのことは自分もひそかに気に入らないと思っている。ホームズとワトソンの仲があまりにもホモソーシャルだというのはよく言われる話なのだが、この映画では二人の関係はあまりエロティックではなく、腐れ縁の夫婦みたいである。とくにワトソンがメアリとの約束をすっぽかしてホームズについて行ってしまうあたりは『ハングオーバー』みたいで、むしろこれは同性愛というよりはビッグバジェットのブロマンスだろうという気がした。



 あと、『ダ・ヴィンチ・コード』みたいなラングドンシリーズと一番違うのは、映画の中で何が敵とされるかというところである。ラングドンシリーズにおいて却下される価値観というのは非寛容、もっと言えば狂信だろうと思う(過激な世俗主義原理主義宗教もダメ)。これはかなり911の影響下にあるテーマである。しかしながら『シャーロック・ホームズ』における悪の組織が象徴しているのは貴族的独裁と技術(魔術に見せかけた先端科学)の独占に基づく帝国主義で、ホームズ一派が守ろうとしているのはおそらく民主主義と地域主義である。全体として、悪の組織はひみつの先端科学を利用して「ロンドンの磁場」みたいなものを悪用する人たちとして描かれている。悪の組織の最後の攻撃対象はウェストミンスターの議会で、目標は議員の皆殺しなのだが、そこで悪の組織の頭目が「大英帝国を我々の力で拡張しよう!」みたいな演説をぶつところがある。もちろん、ホームズがそうはさせないわけだが、ホームズがこいつらに勝つときに利用するものがロンドンの地理の知識であり、ホームズ一派がロンドンの街と非常にうまく付き合っているということが勝利の一因となる(ホームズはロンドン最高の渡し守とマブダチなのだが、水路が重要な交通インフラであるロンドンではこれは極めて重要である。陸路においても、ホームズは目隠しされていてもにおいや音で自分がロンドンのどういうルートを辿って運ばれたかわかるくらい街に精通している)。領土の外縁を広げるよりも、自分の目の回りのものを大事にして気を配ったヤツが勝つということである。


 …と、いうわけで、最近ロンドンっ子になった私にはこれは結構別の意味で楽しめる映画だった。ガイ・リッチーはやっぱりロンドンが好きなんだな!ロンドンを制する者が世界を救うのだ!