サーカスみたいなベン・ジョンソン〜ホワイトベア座『悪魔は頓馬』(The Devil is an Ass)

 ケニントンのパブ「白熊亭」に併設されているホワイトベア座ベン・ジョンソンのめったに上演されない戯曲『悪魔は頓馬』(The Devil is an Ass、『悪魔はロバ』と呼ばれることもあり)を見てきた。

 この芝居はジョンソンの代表作『ヴォルポーネ』や『錬金術師』に比べると現代ではあまり上演されないのだが、この上演を見てなんでかわかった…とにかく話が難しい!ジョンソンに限らず17世紀はじめのイギリスの都市喜劇ってやたら登場人物が多くて、現代ならテレビドラマの1シーズン使ってやるような内容を二時間半くらいですごい勢いでやるし、当時の商工業や法律、流行なんかに関わる今では使われない言葉がたくさん出てくるのでネイティヴでも話を追えなくなることがあるらしいのだが、その中でもジョンソンってとくに台詞回しが非常に凝っていてわかりにくいと思うんだよね…たぶんシェイクスピアよりも学識があったからだろうと思うのだが、ジョンソンが描く「エセ知識人」の台詞とかすごい難しくて非ネイティヴには全くお手上げである。今回の上演も台本を手元に置いて見ながらやっと理解できた感じである(休憩時間に連れの人と筋を確認していたお客さんがいたので、やはりこの芝居もネイティヴでも難しいところがあるみたい)。

 えーっとそんなわけで複雑な筋を非常に荒っぽく要約すると、主人公はフィッツドットレルというロンドンのダメな魔法使い(というか錬金術師か?)。下っ端悪魔のパグは自分の力を試したいとサタンに願い出て(サタンは「ロンドンはお前みたいな単純な悪魔には手に負えないくらい複雑な悪徳がはびこっている」と忠告するのだが…)、はるばる地獄からこのフィッツドットレルのもとにやってくるのだが、悪魔であることをフィッツドットレルには信じてもらえず、殴られたりギャル系のケバい貴婦人たちにいじめられたり盗みの疑いで逮捕されたり、さんざんな目にあって一日で地獄に連れ戻されることになってしまう。
 一方で騙されやすいフィッツドットレルはいろいろな人にねらわれている。山師("projector"ということになっている。17世紀だなー)ミアクラフトがいろいろ怪しい投機案をもちかけてフィッツドットレルから金を搾り取ろうとする一方、色男ウィッティポルはフィッツドットレルの妻フランセスにお熱をあげてなんとかフランセスを口説き落として関係を持とうと考えている。しかしながら夫よりもはるかに態度が立派なフランセスに感化されたウィッティポルとその親友マンリーは、下心を捨てて騙されやすいフィッツドットレルの財産を守るためフランセスに協力することに決めるの…だが、ミアクラフトを信用したフィッツドットレルはフランセスが浮気したと思いこんで暴れる。最後は裁判の場に出て一応全部が丸くおさまり、マンリーがみんなを諭しておしまい。

 この上演では全体にサーカスみたいな感じの演出が多いのだが、これはそもそも非常に「人工的」なストーリーにさらに「人工的」な雰囲気を加えるのに役立っていると思う。ジョンソンの芝居では名前が登場人物の性格を表しており(Wittipolはウィットがある、Merecraftは悪知恵があるとか)、登場人物が非常に機能的というか概念が服を着て歩いているみたいなところがあって、そのあたりが現代のお客さんにはわかりにくかったりする。サーカスも「ピエロ」とか「猛獣使い」とかそういうストックキャラクター的な人物だけで回していく舞台だがそのわりに現代の観客にも割合親しみがあるので、ジョンソンの芝居をサーカスに近づけるというのは現代のお客さんを楽しませる工夫としてはいいんじゃないかと思った。この上演では登場人物が派手な化粧をしていたり、場面と場面の間に登場人物がジャグリングをして暇をつぶすつなぎがあったり、休憩時間には出番の少ない登場人物が別の登場人物にトフィアップルを売ったりする余興があって、難しくてわかりにくい筋をおもちゃ箱をひっくりかえしたような騒がしさにより楽しさのほうへ転換させることに貢献していると思う。

 やはり全体としてわかりにくいところはあったし、まだまだ良くなるところはあったと思うのだが、パブシアターのインディペンデント系の上演としてはすごく頑張ってるしいいんじゃないかな…ジョンソンの台詞はシェイクスピアの数倍覚えにくいだろうと思うのだが、苦労してるみたいではあったけど役者はみんなすごく生き生きしていたし、とくに悪魔パグをいじめて地獄に帰してしまうギャル系貴婦人たちはすごくおかしくて良かった。本来なら少々ミソジニー的な描写ではあるのだが、なんというかこの上演では非常に「同性に嫌われるリッチだけどケバい女子」感がよく出ていて、今もこういう子いるよなーと思ってしまう。