昔のシェイクスピアってこんなだったのかな…世田谷パブリックシアター『ハムレット』

 世田谷パブリックシアター野村萬斎演出『ハムレット』を見た。

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 野村萬斎が演出・出演、息子の野村裕基がハムレット役ということで、全体的に衣服などもちょっと和風で、狂言っぽかったり、日本の伝統芸能を意識した演出である。舞台には上と下の層があり、上の舞台はけっこう暗いことが多く、その場に実際には出てこない人物を何かを暗示するために出したりする時にも使われる。先王の亡霊(野村萬斎)は能の亡霊のような感じで登場する。

 私が初めて見た『ハムレット』は2003年の萬斎ハムレットだったのだが、上の舞台の使い方やハムレットのキャラクター造形など、かなり萬斎ハムレットに影響を受けている感じである。とくに野村裕基ハムレットは相当に萬斎ハムレットに似ている。現代の芝居としては独自性を出さないといけないので、もうちょっとお父さんの影響から離れてやったほうがいいのでは…という気になるが、ただ現代的な演出家システムになる前のシェイクスピア上演というのは基本的に先輩の芝居を真似て覚えるもので、おそらく日本の伝統芸能にも若干はそれと似たところがあるのではと思うので、この『ハムレット』は実は昔のシェイクスピアに意外と近い形で上演されているものなのかもしれないと思う。

 ただ、現代の『ハムレット』として見ると、クローディアス(野村萬斎)とハムレットが見た目も立ち居振る舞いも似ているのは、ちょっと変な効果をもたらすな…と思った。あまりにも似ているので、実はこのハムレットの父親はクローディアスなんじゃないのかという気がしてきてしまう。たぶんこの芝居はそういうふうに楽しむ作品ではないような気もするのだが、ちょっとそういうふうに意地悪な楽しみ方をしてしまった。

 最後の演出はけっこう特徴的である。たいていのプロダクションではクローディアスがハムレットに無理矢理毒杯を飲まされてかなりドタバタしたところで死ぬのだが、この演出のクローディアスは立派に覚悟を決めて堂々と毒杯を飲み干し、「悪役笑い」をして終わる。途中のお祈りの場面もそうなのだが、このクローディアスはけっこう兄殺しと義理の姉との結婚が良心に引っかかっている感じがあり、この堂々とした自殺は実はその罪悪感からの解放としての死なのではないかと思う。