あまりにも最悪、ある意味キャンプの極致〜Beyond the Ballet of the Dolls, またの名を『ブラック・スワン』

 ダーレン・アロノフスキー監督、ナタリー・ポートマン主演『ブラック・スワン』を見てきた。なんかもうほんっと最悪な映画だったのだが、あまりにもダメすぎてかえってすんごいキャンプムービーになってる気が…所謂"It's so bad that it's good"というやつである。


 『ブラック・スワン』は、ナタリー・ポートマン演じるバレエダンサー、ニナが『白鳥の湖』の主役に抜擢されるとこから始まる。真面目なニナは清純な乙女である主役の白鳥オデットは完璧に踊れるのだが、ダブルキャストで演じなければならないもう一つの役であるセクシーな黒鳥オディールはうまく踊れない。ところがライバルであるバレリーナのリリー(ミラ・キュニス)は黒鳥にピッタリで、これを見たニナは危機感を募らせてだんだん精神をおかしくして…という話。

 とりあえずこの映画のダメなところは、(1)基本となる舞台観がものすごく浅薄 (2)女性観がものすごく浅薄 (3)舞台の撮り方がうまいとは思えない (4)やたらクリシェと大げさな演出が多い (5)とある俳優の不運を思い出させるので悪趣味 の5点。

 まず(1)。この映画ではどうやら真面目なパフォーマーは真面目な役しかできないっていうことになってるらしいのだが、それって私には全く意味不明な前提なんだけど。ニナは過保護な母親に抑圧されて育ったおそろしく真面目な女性なので王子を誘惑するセクシーな黒鳥がうまく踊れず、そんなニナに演出家のトマス(ヴァンサン・カッセル)が家に帰って自慰してこいとかいろいろセクハラアドバイスをするのだが、この設定は舞台に対する偏見に充ち満ちてる気がする。バレエのことはよく知らないのだが、例えば役者っていうのは本来はそこに存在しない人間を真実よりも真実らしく見せること、自分では経験すらしたことないものを舞台に現出させるのが仕事であるわけでしょ?才能のあるパフォーマーなら人を殺したことがなくても真に迫った人殺しの役ができるはずだし、男でも女の役が、女でも男の役ができる。映画や演劇の歴史をひもとけば私生活では家庭人だったけど血も涙もない悪党とか次々に男を騙す妖女の役で名をなしたパフォーマーっていうのはいっぱいいる。映画はともかく、バレエなんかリアリズム的な芸術じゃないから、所謂メソッド演技的なアプローチ、あるいは「実生活でも役柄のまま」みたいなアプローチでうまく役作りができるとはあまり思えんのである(このへんはバレエは詳しくないのでよくわからないが)。ニナが黒鳥がうまく踊れないというのなら、とりあえず自慰とかする前に他のバレリーナの名演を研究するとかそういう訓練をすべきだし、それでもダメなら「ニンにあってない」として諦めるべきなんじゃない?ところがこの映画では「自分の抑圧された部分を掘り出してそれに身をゆだねると誘惑的な役柄の演技も向上する」みたいなことになっている。なんて言うかさぁ、役者のパフォーマンスがまぼろしを作る舞台特有のあの力を全然信じてない人がやりそうなダメダメのリアリズム志向だよね。
 
 次に(2)。女性観というかセックス観というかがえらい単純というか娼婦/処女の二分法で、見ていてこの監督はエロティシズムとかそういうもんに全く興味がないんだろうと思った。ニナの描写もそうだが、ライバル役のリリーの描写がかなり意味不明。リリーは遊び好きでセクシーなバレリーナでだから黒鳥が得意…ということになっているのだが、黒鳥ってどっちかというとファム・ファタル的な役柄でしょ?野心的だが姉御肌で、他のバレリーナに比べるとむしろさっぱりしたいいヤツみたいに見えるリリーがそんなに暗い色気をたたえたファム・ファタルの役柄を素で演じられるとは思えないのだが。なんというかこの監督は恋多き女と男を破滅させる女の区別がついてないんだろうと思った(←この区別がつかないヤツがサイコスリラーなんか撮っていいんだろうか)。
 
 (3)だが、バレエを撮るときにやたらカメラを回すのはプロじゃない役者の踊りの難点を隠すためだろうが、カメラが動きすぎて舞台全体で何が起こってるのかイマイチよくわからない…上、そもそも『白鳥の湖』がどういう話なのかもイマイチわかりにくいのではと思った(話を知ってればいいだろうが、知らない人はあれを見て『白鳥の湖』がどういう話か正確にわかるのかね?)。あとスーパー16を使用して舞台を撮ってるせいですんごく安っぽい。うちが見たシネコンの上映環境があまりよくないのもあるだろうが、舞台照明とかかなりつぶれててすごく見づらかったな…アメリカの有名バレエ団が場末のキャバレーみたいに見えた。

 (4)だが、とにかく演出が大げさで型にはまってる。最後のニナが黒鳥を踊る場面とか、ネタバレになるから詳しくは言わないがまったく冗談かと思うほど大げさな表現で…あれって「間違ったリアリズム的舞台の表現」の典型では?それから全体としてオリジナリティがそんなにないなっていう気がした。話はかなりミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』に似てるし(ニナの抑圧的な母の名前はエリカなのだが、『ピアニスト』のヒロインも同じ名前)、噂によると場面構成が今敏監督の『パーフェクト・ブルー』にそっくりらしい(未見なので噂)。かといって過去の作品をよく消化してオリジナリティを出してるかというとそうも思えなかったのだが…

 (5)だが、これってほとんどヒース・レジャーの話…じゃない?ネタバレになるから詳しくは言わないが、そう思うと結構悪趣味だよね。まあ、悪趣味なのは別にいいんだけど。


 …と、そんなわけで『ブラック・スワン』は実に最低な映画であったのだが、ちょっとあまりにも全編大げさでクリシェだらけのひどいメロドラマなので監督がわざとやってるのかもっていう気もして(ヴァンサン・カッセルとか客を笑わせるためにやってるとしか思えんし、私はラストに大爆笑したぞ)、そうだとしたらこれはすごいキャンプムービーだなと思った。この間見た『ツーリスト』は「金返せ!」っていう感じのひどさだったのだが、『ブラック・スワン』は「こんだけ大げさなひどい話をよくこんなに真面目に作ったな!」みたいな感じでかえって感心しちゃうとこがある。見たあとの印象は史上最悪のバックステージものメロドラマにしてキャンプクラシックスである『哀愁の花びら』(Valley of the Dolls)にそっくりだったのだが、アロノフスキーの意図は実はBeyond the Valley of the Dolls ならぬBeyond the Ballet of the Dollsを作ることだったのかね?そうだとしたら完全にその意図は成功してると思うんだけど。

 ただ、これがアカデミー賞の候補作とかいうのは全然いただけない。こんなん真面目に見る映画じゃなくて、深夜にオタク向けの映画館で白鳥の仮装とかしながら酔っぱらって騒いで見るタイプの映画でしょ?それにキャンプムービーとしてならBeyond the Valley of the Dolls(『ワイルド・パーティ』)のほうが断然傑作だと思うし、舞台におけるイリュージョンの力を描いてるっていう点では『バーレスク』(田舎から出てきたあかぬけない女が声の力だけでイリュージョンを作ってスターになる)のほうが数段巧みだとすら思う。


 最後に一言。舞台芸術をなめんな!