セックスの拒否と芸術~『マシュー・ボーン IN CINEMA/赤い靴』(試写、ネタバレ注意)

 『マシュー・ボーン IN CINEMA/赤い靴』を試写で見てきた。こちらは昨年、公演が来日予定だったが新型コロナウイルスで上演中止になり、映像のほうが先に日本公開となった作品である。

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 お話は有名なバレエ映画である『赤い靴』に沿ったもので、バレリーナであるヴィッキー(アシュリー・ショー)が芸術と愛の間で苦悩する様子を描いたものである。筋の細かいところについてはかなり単純化してある。冒頭のジュリアン(ドミニク・ノース)がアカハラを受けるくだりとかは全部カットされているし、先輩バレリーナが結婚して退職するとかいうところはケガで休職というふうに変更されている。これについては、とくに他のトラブルもないのにバレリーナが結婚退職というのは今だとちょっとピンと来ない上に似た話の繰り返しになってしまってくどいのと(メインのプロットが際立たなくなってしまう)、バレエで結婚退職を表現とかいうのがちょっとやりづらいからではないかと思う。

  基本的にはアシュリーとバレエ団のトップであるレルモントフ(アダム・クーパー)の葛藤を中心にしている。ボーンらしいいろいろな工夫があり、笑うところもけっこうあって飽きさせない作品だ。もとの映画は中盤にサイケデリックな長いバレエシーンが入るのが特徴なのだが、映画とは違うアプローチでしっかり見せてくれる。最後の列車の場面は原作の映画もわりとシュールなのだが、ボーンが好きそうないかにも舞台っぽい演出で、まばゆい光の中から列車のシルエットが現れる、居心地の悪い夢みたいな雰囲気になっている。

 ひとつ非常に気になったのがレルモントフのキャラクターである。もとの映画も単純な「女性がキャリアか愛かの選択を強いられる」みたいな話ではなく、もうちょっとこじれた芸術至上主義の物語になっているのだが、このバレエではレルモントフをアダム・クーパーが陰影豊かに踊っていることと、ヴィッキーとジュリアンの恋情がかなり官能的なダンスで表現されていることもあって、レルモントフの性に関する嫌悪感のような態度が映画よりも明確になっているように見える。レルモントフがヴィッキーとジュリアンの恋愛関係に怒る場面は、恋人同士の情熱とレルモントフが感じている不愉快な感情がかなりはっきり対比されていて、レルモントフは別にヴィッキーに恋情を抱いているとかいうわけではなく、性行為自体が嫌いなのではないかと思えるところがあった。レルモントフの性的なエネルギーは全て美しいダンスの舞台を作り上げることに昇華されており、他のダンサーも皆そうすべきだと思っているようだ。一方でレルモントフは行為としてのセックスに嫌悪感を抱いてるみたいに見えるし、とくに女の性的エネルギーを怖がってるようで、『赤い靴』のような女性の性的エネルギーが暴発して不幸になっていく作品を作るのはそのせいではないかと思う。おそらくレルモントフは女に性欲を抱いてないし、ヴィッキーに対する感情は美しい作品を作るための芸術的なプラトニックな思慕とでも言うべきもので、ヴィッキーとセックスしたいという気持ちはないように見える。レルモントフがヴィッキーに去られた後、自室でバレエダンサーの足の彫像を触るところがあるのだが、レルモントフは女性の肉体そのものではなく、性別を問わず美しく力強い足さばきみたいなものに執着しているように見える。レルモントフが性嫌悪なのか、それとも抑圧された同性愛者なのかはあまり明確に判断できなかったのだが、『赤い靴』という作品は何かとてもクィアな作品なんじゃないかと思う。レルモントフのもともとのモデルはディアギレフらしいし、同性愛がはっきり描けないからこうなったのかもしれないのだが、あまり明確にされていないせいで性嫌悪としても読める感じになっていて、良い意味で曖昧な深みのある作品になっていると思う。

赤い靴(字幕版)

赤い靴(字幕版)

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