フランソワ・ゲリフ『不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話』

 大久保清朗先輩が翻訳した『不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話』をやっと読んだ。高校生くらいの時にシャブロルは数本見たが、ヌーヴェルヴァーグ映画作家の中ではいまいち印象が薄い感じなので、ちょっと知識を補わないとと思って楽しみにしてた本である。この本はシャブロルがインタビュアーのフランソワ・ゲリフの質問に答えて自分の生い立ちから映画までいろいろなことを話すという構成になっている。


 で、これは映画史の資料としては極めて価値があると思う。なんといってもシャブロルの映画の大部分について撮影の経緯とかが詳しく語られてるので、どうやって映画を撮ってたが割合よくわかる。あと面白いのはかなり「作家シャブロル」の自意識みたいなものが流れ出しているところである。シャブロルというとミステリの巨匠ってことでトリュフォーゴダールに比べると作家性が薄いような印象があり、それは途中で引用されているアンドレ・ラバルトの批評にある「ゴダールは映画を利用するのにたいし、シャブロルは映画に奉仕している」(p.64)っていう表現によく現れていると思うのだが、この本を読むと実はシャブロルが紛れもなく「アーティストさん」で、自分が受けた批評に対して臆面もなく反発したりとか、ものすごいこだわりを持って映画を撮っていたことがよくわかる。

 …で、これにかなり関係あるのだが、私が読んだ感じではシャブロルはかなり人格に問題があるっていうか付き合いにくそうな人だと思ったな。うちはシャブロルの映画をほとんど見ていないので映画の内容に踏み込むことはできないのだが、なんかシャブロルという人の話し方は自信とそれに隠れている不安感が語り口から漏れ出してくるような語り口だなと思った。とくに自分の作品に対する批評家の批判にやや子供っぽいくらいの勢いで反発するところとか(ミステリを撮っているなら批評家というのは探偵と似ていて、犯人=映画監督が残した思いもよらぬヘマを掘り出すのが仕事だっていうのはわかりそうなものだと思うのだが)、古書にニセの献辞をつけて古本屋に高く本を売って小金を稼いでいたエピソードとかを読むと、たぶんこの人は自分のことを客観的に見たりできずにその都度面白いと思ったことだけやるタイプなんだろうなーって感じがする。とくに23ページの若い頃地下鉄で痴漢をしてたっていう話は全くひどい。たぶん自分のことで頭がいっぱいで他人のことを全く考えてなかったんだろう。

 …と、いうことで、この本は大変才能がある監督でも結構人格に問題がありそうだということがわかって面白かった。年をとった後は多少は丸くなったのかな?