華族史料研究会編『華族令嬢たちの大正・昭和』〜華族の中でも「戦争は勝てない」と思っていた人がかなりいたらしい

 華族史料研究会編『華族令嬢たちの大正・昭和』を読んだ。大正期に生まれた四人の華族令嬢、京極典子・寺島雅子・勝田美智子・上杉敏子の四人にインタビューしたオーラルヒストリーものである。華族令嬢とはいえ、とくに大きな政治問題とかについて情報を持っていたわけではないし、話の上手い下手には個人差もあるので結構単調なところもあるのだが、全体としてはいろいろ戦前の華族の暮らしぶりがわかる面白い史料である。

 女子学習院での学校ライフや祭祀・避暑などの習慣、家ごとの家風の違いや家同士のつきあいなど普段の話も面白いのだが(白州次郎はモテたらしい)、一番面白いのは第二次世界大戦周辺の話である。サンプルが四人なので一般化できるかはわからないのだが、どうやら令嬢たちの記憶によると華族のエリート男女(男性は海外留学などもしていて外交などにも知識があった)の中には戦争が勝てっこないことに気付いていた人がかなりいたようで、陰で松岡洋右の悪口など言っていたのだそうだ。令嬢たちの花婿候補としても陸軍軍人は全く人気がなかったそうで、推して知るべしである。また、戦後に華族制度が廃止された時、まだ若かった令嬢たちはそれほど動揺もしなかったらしい。太宰の『斜陽』とかあるいはチェーホフの『桜の園』みたいな「美しい没落」的な感じは全くなく、夫が音楽ビジネスを始めたりとか、結構素早く社会に順応したそうだ。ただ、言葉遣いなど細かい生活習慣については多少カルチャーショックがあったそうだ。

 ちなみに言葉遣いの話はそこかしこに出てくるがかなり面白い。全体を呼んでいるとこの令嬢たちの話し方は皆上品だが、現在我々が「女言葉」として考えているものとは違うところもあり、都市部の華族令嬢というのはこういう話し方をしていたのかと思ってしまう(大正末期に生まれて旭川の女学校に行っていたうちの祖母や、樺太師範を卒業した大叔母なんかは当時としてはかなりの高学歴女性だったはずなのだが、全く似ても似つかない話し方である)。今では「女言葉」の代表例扱いになっている「わよ」という語尾だが、これは大正期には下品な言葉だったようで(他の本で読んだが、都市部の若い女学生なんかの間で使われていて今で言うギャル語に近いものだったようだ)、勝田美智子は「わよ」とかいう言葉を使ってはいけないと指導されたそうだ(p. 37)。とくに学習院では独特の家族言葉が使われていたそうで、頭がいいことを「おつむがよろしい」などと言っていたそうである(p.210)。