1920年代のパリに興味ある人必見!ウディ・アレンの新作"Midnight in Paris"(『真夜中のパリ』)

 ウディ・アレンの新作"Midnight in Paris"(『真夜中のパリ』)を見てきた。すごく良かった!

↓ポスターもえらい気が利いている。

 舞台は現代のパリ。脚本家で小説家に転身したがっているギル(オーウェン・ウィルソン)が金持ちの婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムズ)とその両親とパリにやってくるところから話が始まる。モダニズムに強い関心を抱いているギルは、俗物でパリの歴史や芸術に興味を示さないイネズと話がだんだんあわなくなってくる。ある晩、ダンスに行ってしまったイネズと別れて散歩していたギルは道に迷ってしまう。途方に暮れて道のわきでうろうろしていると真夜中を知らせる鐘が鳴り、そこにやってきたレトロな車。若者たちに誘われるまま車に乗ったギルはパリのどこかにあるパーティ会場に連れて行かれるが、そこがジャン・コクトーのパーティでスコット・フィッツジェラルドと妻のゼルダコール・ポーター、ジョゼフィーン・ベイカーなどがいることを知ったギルは自分があこがれの1920年代にタイムスリップしてしまったことに気付いてびっくり仰天。ヘミングウェイに会い、ガートルード・スタインに自分の小説を添削してもらえそうになったギルは急いでホテルに小説原稿をとりに戻ろうとするが、戻った先は現代で1920年代には戻れなくなってしまう。ところが、翌日の夜、昨日と同じ場所に行ってみたところやはり12時に車がきてそれに乗ると1920年代にタイムスリップすることができた。こうしてギルは昼は現代、夜は1920年代で二重生活を送ることになり、小説を添削してもらったりいろいろなモダニズムの芸術家たちと付き合う一方、パリのモダニズム芸術界の花である美女アドリアーナ(マリオン・コティヤール)と恋に落ちて…という話。


 何の説明もなく夜になるとタイムスリップできるという設定や(この説明のないSF設定は『カイロの紫のバラ』にそっくりだ)、モダニズムの芸術家たちが服装もしゃべり方も違うギルにいきなりやたら親切にしてくれるというあたりは非常に強引だと思うのだが、なんといっても舞台がパリで、石畳の道路なんかをうまく生かして撮っているのでなんとなく「パリならそんなことあってもいいんじゃないだろうか」というような気になってしまうあたりが非常に巧妙だ(というかヨーロッパの世界遺産をたくさん抱えているような大きな街って街並みの骨格が昔から変わってなかったりするので、うまく使えばそのまんまタイムスリップ気分になるような映像を撮れるし)。あとオーウェン・ウィルソン力(?)が炸裂しており、ウディ・アレンそっくりのゆううつなインテリ青年の表面からこぼれ出る隠しきれないナイスガイっぷり(?)がファンタジーなお話によく似合っていて、一歩間違えればアホ話になりそうな寓話に非常に自然な雰囲気を与えている。とくにタイムスリップしてヘミングウェイに会った時の嬉しそうな顔とか、見ていてこっちまでにやにやしてしまうような人の良さがある。オーウェン・ウィルソンってウェス・アンダーソンベン・スティラーの仲間なもんだからちょっとひねったユーモアが特徴の役者に見えるけど、実はゲイリー・クーパーとかジェイムズ・スチュアート、あるいはジーン・ケリーみたいな黄金期のアメリカ映画のナイスガイみたいな役も似合うと思うので、まさに「パリのアメリカ人」であるこの役柄はぴったりである(ちなみにこの映画ではガーシュウィンが使われていないのだが、なんでかね?使うべきじゃない?)。


 主演のオーウェン・ウィルソン以外の役者もみんな良くて、とくにガートルード・スタイン役のキャシー・ベイツは貫禄があってぴったりだと思う。アドリアーナ役のマリオン・コティヤールは驚くべき美しさである(役柄自体は『インセプション』喜劇版みたいな感じだが)。あとダリ役でちょっとだけ出てくるエイドリアン・ブロディが、まあそのものすごくヘンでおかしい(というかシュルレアリストたちはみんなお笑い担当なのか?)。ガイドさんの役でちょっとだけ出ているカーラ・ブルーニ(すごく地味に作ってて最初気付かなかった)とか、細かいところまで気が利いてる。


 まあそういうふうに結構強引な設定を役者とロケーションの魅力で通してしまう映画なのだが、所謂「昔は良かった」的な話にはまったく落とさず、むしろノスタルジアを相対化する方向に持っていく当たりがさすがウディ・アレンだなという感じ。これから日本公開されるので詳しいことは言わないが、最後の落とし方はある意味で非常に前向きというかポジティヴなものだったと思う。


 で、強引な話を魅力で見せてしまう映画ではあったのだが、1箇所だけちょっとわからないところがあった。ネタバレしないように注意深く疑問を投げかけたいのだが、アドリアーナの日記はいったいなんであそこから出て来たの?過去にとどまったんなら出版とかできないよね?誰かあれについて納得できる説明できる人います?