"Don't be a drag, just be a queen"フォローアップエントリ

 昨日適当に書いたエントリにとんでもない数のブクマがついた上、訳語についてmacskaさんから批判があったので、今日はフォローアップエントリを書こうと思う。

『「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」は違うと思う。てか「ただの」「妥協」ってなによそれ。』

 「don't be a drag, just be a queen」というのがドラァグクィーンにかけた言葉遊びだというのはその通り。でも、だからといって前半を「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」と解釈してしまうのは、意味としてもニュアンスとしてもまったく違う。違いすぎて最初よく分からなかったくらい全然違う。「don't be a drag」というのは、つまらない奴になるな、つまらないことを言う(する)な、程度の表現。たとえば、みんなで週末どこに遊びに行こう、みたいな話をしているときに、一人だけあそこは混んでいる、あそこは楽しくない、みたいに欠点ばかりあげてみんなの気分を盛り下げている人がいたら、その人に「don't be a drag」と言ったりする。なのにこれを「ただの女装っ子で妥協しちゃダメ」と解釈するのは、saebouさんが「女装っ子」のことを「つまらない奴」だと思っているのでないとすれば、ちょっと理解できない。「ぼやいてないでいっそ女王になろう」というNHKによる訳のほうが、言葉遊びの面白みには欠けているものの、訳としては正しい。
 saebouさんは、NHKの訳は「『だらだら引っ張る』とか『うんざりする』というようなほうのdragのもうひとつの意味からきている」のではないか、と推測しているけれども、それはdragの動詞としての意味。ガガの歌詞では冠詞の「a」が付いていることから分かる通り明らかに名詞なので、辞書で名詞としての「drag」を調べてみると、以下のような説明がある。

drag (noun)
2. [ in sing. ] informal a boring or tiresome person or thing: working nine to five can be a drag.

 以上をふまえて「don't be a drag, just be a queen」というのをみると、前半はごく普通の表現で「つまらない奴になるな」って意味。後半はその「drag」にかけて、女王/ドラァグクィーンみたいに自分に自信を持って堂々としようよ(@chicomasakさん風には「ファビュラスにいきましょ」)、と呼びかけていて、そこが言葉遊びになっている。言葉遊びであるという点ではsaebouさんが正しいけれども、前半を無理に複雑に解釈しすぎ。てかそもそも、「ただの女装っ子」の「ただの」って、「妥協」って、それどーゆー意味なんだろうか。


 まず、私は自分の翻訳が女装を否定するような意味のものと思われるとは思ってもいなかった…のだが、昨日のエントリを見るとテキトー(そう、まさにテキトー)に書いたせいで説明が大変少なく誤解されてもしかたないかと思ったので一応、追記もしておいた。

 まず、私は基本的にこの文章はドラァグクイーンのリスナーに呼びかけているもので、そのためdragにつまらないものとか退屈なものとかいう意味があるのをひっかけて「queenなしのただのdragだけみたいな状態に甘んじるのではなく、queenらしいdrag queenになれ」という意味だと思っていた。たぶんこのカナダのヤフーの質問エントリにあるような解釈、つまり'stop focusing on the "drag" in drag queen because it'll bring yourself/others down, and focus on the beautiful "queen" part'というのに近い。そういうことで「ただの女装っ子」というのは「queenらしくない退屈なdrag queen(いろんな意味でdrag)」ということ、つまりは「女装っ子」全体ではなく女王になれない女装っ子の退屈な状態を否定しているつもり、「女王様」というのは「堂々とした女装っ子、queenらしいdrag queen」という意味で訳したつもりでいた。あとdrag/queenにfake/yourself(人の模倣/自分自身)の対立があるだろうと思ったので(この対立が妥当かはともかく)、人真似で妥協してつまらないことをするのではなく、内なる女王を解放せよ、とかいう意味もあるのだろうと思っていた。それで、実はこれ以外の解釈を全然思いついてなかったので当然のようにずーっとそうだと思いこんでいた。後で出てくる"No matter gay, straight or bi / Lesbian, transgendered life"にはドラァグクイーンのリスナーに呼びかけてるところがないので、この部分ではいくつもの掛詞を使ってシャレた感じでとくにドラァグクイーンのリスナーに呼びかけているのだろうくらいに思っていた。


 それで、macskaさんのようにドラァグクイーンのリスナーに呼びかけているのではなくごくごく一般的な話として「つまらない奴になるな(中略)女王/ドラァグクィーンみたいに自分に自信を持って堂々としよう」という解釈があるとは思っていなかったのだが、よく考えると私の解釈はid:oldriverさんがブコメで指摘されているように"just be a queen"のjustに引きずられて前半部分を複雑に解釈しすぎている気がしてきた。そう考えると、macskaさんが指摘されているように「つまらないことをする」の延長でNHKの「ぼやいてないでいっそ女王になろう」という翻訳は間違ってない気がする(追記:というか、私はこのdragは「ドラァグクイーン」が言いたいことの主要部分で気の利いた詩のポイントであり、あとはシャレでちょっとひっかけてるだけなのに、本義を取りこぼして「退屈なもの」とか「足手まといになる人」というメインでないほうの意味でありきたりな解釈をとっているNHKの字幕は誤訳で意味がわかってないのだろうと思っていて、ただ、「退屈」→「ぼやいている」があんまりピンとこなかったのでたぶん動詞の意味とかから苦し紛れにひっぱってきたのだろうと思っていた。今ではNHKのようなとり方でよかったのだと思っている…のだが、自分の解釈が完全に間違っているかと言われるとそうも思えない)。


 ただ、今でもmacskaさんがおっしゃるよりはもうちょっと「誰でもqueenになれるんだ」ということを強くすすめているのではないかと思っている。というのも、他の箇所は"born this way", "Just love yourself"など肯定文であるがままの自分を受け入れろ、と言っているのに、この"Don't be a drag, just be a queen"の箇所と"don't hide yourself in regret"の箇所だけ雰囲気が変わって否定文なのがけっこう最初に聴いた時から疑問で、このあたりが冒頭の"we are all born superstars / She rolled my hair and put my lipstick on"あたりの歌詞と呼応し(「私たちはみんなスーパースターに生まれた」と「女王になりなさい」はどっちも「現状維持」じゃなく「内なる可能性の開花」の話をしてるよね?)、他の箇所に現れる現状肯定モードとはちょっと違うやたら積極的な努力と変身のモードを急に打ち出してきているように思ったからである(退屈でパッとしなかったり落ち込んで隠れたりする状態から脱するには努力が必要だから)。


 それで、あまり著者の考えとかを参照するのは好きじゃないのだがレディ・ガガのインタビューを見てみたところ、ガガはこの歌で"You have your entire life to birth yourself into becoming the ultimate potential vision that you see for you. Who you are when you come out of your mother's womb is not necessarily who you will become"と「人には無限の可能性がある、生まれたときの自分であり続ける必要は必ずしもない」というような話をしていて、そのわりには"He made you perfect"(神様の作ったままで完璧だ)というような歌詞があったりして、ちょっと一曲の中で「現状肯定」なのか「無限の変化の可能性」なのかテーマが揺れているような感じがある。


 なお、この"Don't be a drag, just be a queen"は実はこれ以外にも多数解釈があるそうで、「クィーンに『ドラァグ』も非『ドラァグ』もない」とか(ちょっと違うがこれもこの意見に近いか)もあるそうだ。私が思っていたよりも全然多義的な詩であったらしい。他に解釈の可能性があれ、是非コメント欄に書き込んでほしい。