リュック・ベッソン監督、ミシェール・ヨー主演のアウンサンスーチー伝記映画"The Lady"〜ミシェール・ヨーの演技のおかげで思ったより全然まし

 リュック・ベッソンミシェール・ヨー主演でアウンサンスーチーと夫マイケル・アリスとの波瀾万丈の恋物語を映画化した"The Lady"を見てきた。

 なんてったって最近B級アクションを製作するばっかりで80年代〜90年代初めくらいまでの冴えた手腕はどこへやらのリュック・ベッソンが監督、題材がビルマ民主化運動の闘士であるアウンサンスーチー(現役の政治家で、少し状況が良くなっているとはいえ未だに民主化に向けて闘争中)という今までの映画と全然違う見るからに難しげな題材、ということで見る前からあまりにも地雷の臭いがしまくっていたし、批評もあまり良くなかったのでどんだけひどいのかと思っていたら、なんか全然ふつうの歴史ロマンスで拍子抜けしてしまった。脚本は全然良くないがベッソンはいつものB級アクションっぽい安っぽいギャグとかをなるべく出さないように精一杯頑張ってるし(まあたまにあれ?っていうところもあるけど)、音楽のエリック・セラや撮影のティエリー・アルボガストも結構よくやってると思うし、あととにかく主演のミシェール・ヨーの演技が素晴らしい。脚本がダメで女優の演技だけでもってるという点では『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(The Iron Lady)とたいして変わらないと思うのにこんなにボロクソにいわれているのが不思議なくらいだ(まあビルマ史より英国史のほうが自分になじみがあるのでサッチャーのほうは点が辛くなっているのかもしれないが)。


 まあとにかく脚本は良くない。事実を追うだけでしかもその事実の処理の仕方もあまり洗練されているとは言えないので、アウンサン将軍が暗殺された経緯とか、ビルマに軍事政権が成立した経緯、ビルマの軍事政権の人々の思惑、アウンサンスーチー民主化運動に関わるまでのバックグラウンドとなった思想などなど、政治劇のディテールとして重要と思われる箇所がさっぱりわからなくなっている。このあたりをすっとばしまくったせいでビルマの軍事政権の面々は狡猾な独裁政権の政治家たちというよりはB級アクション映画に出てくる安っぽい悪の組織みたいに見える(このあたりはベッソンのB級アクション趣味がもろに出てしまい、演出のせいで脚本の欠点が目立ってる気がした)。


 また、この映画の一番のテーマであるアウンサンスーチーマイケル・アリスの夫婦愛についても脚本はうまく処理できてない。とくに最後、ビルマ政府のせいでガンで死にかけているマイケルとアウンサンスーチーの再会がかなわなくなってしまうあたりのセリフがなんか非常に不細工というか説明不足で、アウンサンスーチー役のミシェール・ヨーとマイケル・アリス役のデヴィッド・シューリスの息があった演技がなければ全然ダメだっただろうと思う。たぶん脚本としては東南アジアふう(?)に控えめな言葉で感情を伝えようとするアウンサンスーチー、長い間連れ添ったせいでそれが「以心伝心」でわかってしまうマイケルの深い愛情、若い上イギリス育ちでそのへんがあまりわからない息子たちの三者三様の葛藤を描きたかったのではないかと思うのだが、そうだとしたらもっといくらでもセリフで工夫ができただろうにと思う。これではただの機能不全家族みたいである。


 ただリュック・ベッソンは結構頑張ってはいると思う。製作で参加した『タクシー』シリーズにあったみたいな下品なエスニックジョークとか安っぽい芝居がかった演出はできるだけ少なくして(たまにあれっと思うところもあるが)、なるべく控えめに上品に撮ろうと努力している気がした。脚本のダメっぷりを補うため工夫していると思われるところもあり、アウンサンスーチービルマ少数民族を訪ねて支持を呼びかけるところなんかは、行く先々で民族衣装を着た女性たちに歓迎されるアウンサンスーチー(少数民族が軍事政権に苦しめられていることをほのめかしつつ、男ばかりの軍事政権と違ってアウンサンスーチーが女性から支持を得ていることを示す)と移動中の車の中でごはんを食べたり勉強するアウンサンスーチーの映像を何回か繰り返して見せることで、できるだけテンポよくアウンサンスーチーの政治的努力を見せようとしている(成功しているかはともかく、少数民族の女性たちをうつすところはあまりオリエンタリズム風味にならないよう気を遣っている気配もある)。

 ただそのせいでセンチメンタルに流れすぎなところも多いし、あとヒロインの聖性が異常に高められてしまっている。おそらくベッソンにとってアウンサンスーチーはある意味ニキータやマチルダの進化形なのだろうと思うのだが(ニキータやマチルダって人間らしいところはアクションシーンで傷つくとかそういうところだけでそれ以外はちょっと人間離れした聖性を持ってると思う)、アウンサンスーチーはそういう過去のヒロインと違って非暴力不服従で意志の力で人々を動かすという役柄なので、アクションシーンで傷ついたりして人間味を示す機会が少なく、その結果人間離れしたものすごい聖性を持ったヒロインになってしまっている(その点、むしろ『グラン・ブルー』のジャック・マイヨールに近いかもしれない)。アウンサンスーチービルマ政府と百戦錬磨の駆け引きを行ってきた政治家だし、その過程でたぶん家族とケンカして弱いところも見せたりしたこともあったのではという気がするのだが、この映画ではベッソンの聖性志向があまりにも強くてそういうヒロインの人間的なところがあまり見えない(ヒラリー・クリントンと一緒に撮った写真とかを見るとなんかわりと陽気で面白いところもありそうな人なのに!)。


 とはいえ、ミシェール・ヨーがあまりにもはまり役なので、見ている間は脚本のダメっぷりや演出の偏りを忘れてすっかりヨーの演技に引き込まれてしまった。いつも上品で謙虚なのにひとたび声をあげると途方もない説得力があるというキャラクターを実にうまく表現していて本当にびっくりした。他のところはともかくこのミシェール・ヨーの演技を見るだけでお金を払う価値があるように思う。髪に花を挿したところがこんなに似合う女優さんはめったにいない。


 まあしかし『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』もそうだし『マリリンとの一週間』もそうなのだが、最近ちょっと脚本がけっこうダメで主演女優の演技力だけでどうにかもっているような歴史映画(なぜかイギリス映画が多い)が多いのはちょっとどうかと思う。せっかく実力のある女優さんを持ってくるんなら脚本をもうちょっと考えて、歴史上の女性を脚本の時点から深く人間的な存在として描くような試みをすべきなんじゃないだろうか?